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江戸川乱歩の話

町田のブックオフに入ってしまうとどうも長居してしまう。私の主な生息地は2階の文庫コーナー。特に目当ての本がある訳でもないのに夥しい数の文庫本のズラッと並んだ本棚の間を何度も何度も行ったり来たりすると、それだけでもう気分を満足させるのには十分なのである。

ところで私が今日購入したのは『江戸川乱歩全集  第五巻 押絵と旅する男』である。

 押絵と旅する男 江戸川乱歩 | 光文社文庫 | 光文社

 

ここで、作者の江戸川乱歩について少し紹介しよう。

江戸川乱歩は日本におけるいわゆる探偵小説・推理小説の第一人者であり、多くの人気作を生み出した作家のひとりである。

乱歩は1894年10月21日に現在の三重県名張市で生まれた。少年期から探偵小説を愛読し、1923年に発表した短編「二銭銅貨」でデビューした。

活動初期は「D坂の殺人事件」「心理試験」などの欧米の探偵小説に強く影響を受けた小説を産み出した。しかし、乱歩が活動した当時は昭和恐慌以後の「エロ・グロ・ナンセンス」と呼ばれた退廃的な風潮が影響したのかそのような本格派の探偵小説は大衆にはあまり評判が高くなかったようである。

そこで「陰獣」や「蜘蛛男」のような犯罪小説・怪奇小説に分類されるような猟奇的な内容の作品を著すようになる。

また1936年には少年少女向けの作として雑誌『少年倶楽部』に「怪人二十面相」の連載を始める。この「怪人二十面相」は少年少女を中心に絶大な支持を得たため乱歩は「少年探偵団シリーズ」として引き続き連載を行い、太平洋戦争中に一時的に中断はしたものの戦後に再開し、映像化もされた。

また彼の筆号は世界初の探偵小説と呼ばれる「モルグ街の殺人」の作者であり乱歩が敬愛した作家のエドガー・アラン・ポーをもじったものである。

 

私が乱歩の作品に初めて触れたのは「怪人二十面相」で、小学校1年生のときに母から勧められて手に取ったのである。

怪人二十面相」は御存知の通り希代の怪盗である二十面相と敏腕の名探偵明智小五郎が対決するストーリーである。

そのころ、東京中の町という町、家という家では、ふたり以上の人が顔をあわせさえすれば、まるでお天気のあいさつでもするように、怪人「二十面相」のうわさをしていました。
「二十面相」というのは、毎日毎日、新聞記事をにぎわしている、ふしぎな盗賊のあだ名です。

https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/files/57228_58735.html

これは怪人二十面相の「はしがき」つまり冒頭の部分である。

二十面相は富豪の所有する美術品や宝石・財宝の類ばかり狙う盗賊で、それでいて現金には一切の興味がない。また人を傷つけたり血を流したりすることを嫌い、しかも盗むときには決まって「予告状」を突き付けて傍若無人にもその目的を達成するある意味では紳士な一面を持っている盗賊である。彼のその名は変装が大の得意でまるで二十もの顔を持っているかのようであることに由来している。

 

初めて母から読み聞かせてもらったとき、私はぞくぞくするようなドキドキするような感覚に陥り、乱歩特有の読者に語りかけるような文体に魅せられてそれからはもう乱歩の世界に入り浸るようになった。

少しでも時間があれば「怪人二十面相」のページをめくり、全て読み終わってからもまた最初から読み始める程没頭した。また書店や図書館に行っては少年探偵シリーズを見つけて読み、シリーズの全20数巻はほとんど読み尽くしたように思う。

私の読書の「原点」は間違いなく「怪人二十面相」だったのであろう。

 

私が乱歩の作品で特に好きなのはその情景描写である。「少年探偵団シリーズ」は1930~60年代に連載されたものであるが、丁度その頃の銀座や山の手の街々の描写には心を奪われるものがある。

浦淋しい屋敷町の一角に佇む紙芝居屋、八幡様の境内にいる怪しげなからくり覗き屋、夜も深くなり灯が絶えまるで死んでしまったかのような銀座の通り。これらは現代の東京で見られない光景である。

私はなんだかタイムスリップしたような気分になり、意味ありげな描写に当たる度に「これから一体何が起こるのだろう?」とストーリーに引き込まれていくのであった。

 

また乱歩は光や鏡・レンズに非常な興味を持っていて「鏡地獄」など著作にも影響がある。ここで、先述した全集の題にもなっている「押絵と旅する男」から少し紹介しよう。

その時、私は態々(わざわざ)魚津へ蜃気楼を見に出掛けた帰り途(みち)であった。(中略)
蜃気楼とは、乳色のフィルムの表面に墨汁をたらして、それが自然にジワジワとにじんで行くのを、途方もなく巨大な映画にして、大空に映し出した様なものであった。
遙かな能登半島の森林が、喰違った大気の変形レンズを通して、すぐ目の前の大空に、焦点のよく合わぬ顕微鏡うの下の黒い虫みたいに、曖昧に、しかも馬鹿馬鹿しく拡大されて、見る者の頭上におしかぶさって来るのであった。それは、妙な形の黒雲と似ていたけれど、黒雲なればその所在がハッキリ分っているに反し、蜃気楼は、不思議にも、それと見る者との距離が非常に曖昧なのだ。遠くの海上に漂う大入道の様でもあり、ともすれば、眼前一尺に迫る異形の靄(もや)かと見え、はては、見る者の角膜の表面に、ポッツリと浮んだ、一点の曇りの様にさえ感じられた。この距離の曖昧さが、蜃気楼に、想像以上の不気味な気違いめいた感じを与えるのだ。

https://www.aozora.gr.jp/cards/001779/files/56645_58203.html

主人公は富山湾沿岸の魚津で蜃気楼を見た感想をこう表している。

レンズや光線、焦点といった光学の用語を巧みに駆使して蜃気楼という自然現象をこれ程までに妖しげに不気味に表現できる乱歩には圧倒されるものがある。またこのような表現技巧が小説全体をほの暗く照らし、読者を彼の世界へ引き込んでいるように感じるのである。

 

ブックオフで久方ぶりに乱歩を手に取ってしまったお陰で、また小学生のとき以来の乱歩熱が自分の中で沸き起こってしまったようなので、取り急ぎ駄文をまとめた次第なのである。是非読者の皆さんのお近くにある書店で乱歩の世界に触れていただければ僥倖である。

                                    

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富山湾の蜃気楼(1909)