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カズオ・イシグロ『わたしたちが孤児だったころ』

カズオ・イシグロの長編小説『わたしたちが孤児だったころ(原題:When We Were Orphans)』を読了したので感想を二三書いておこうと思う。

 

カズオ・イシグロは1954年11月8日に長崎で生まれ、両親を日本人に持つ日系2世イギリス人である。イシグロが5歳のときに海洋学者の父親の転勤で渡英、ケント大学英米文学科、イースト・アングリア大学大学院創作学科を経て作家となった。

1982年に『女たちの遠い夏(後の日本語版では『遠い山なみの光』と改題)』でデビュー、1989年に英国貴族邸の老執事が語り手の『日の名残り』で英語圏文学最高峰と言われる文学賞ブッカー賞を受賞した。

また、2017年には「偉大な感情の力を持つ小説によって、われわれが持つ、世界とつながっているという幻想的感覚の下に隠れた深淵を明らかにした」との理由からノーベル文学賞を受賞した。


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 『わたしたちが孤児だったころ』の舞台は第二次大戦前夜、欧米列強や日本が租借していた時代の上海である。

主人公のクリストファー・バンクスは幼少期をイギリスの貿易会社に勤務する父とアヘン反対運動に積極的だった母と上海租界地で過ごしていた。しかしある日突然に父親が、そしてその後を追うように母親も彼の前から失踪してしまう。彼はイギリスに帰国したのちに両親を捜すため著名な私立探偵になりイギリスの社交界でも大いに活躍する。数多くの難事件を解決したクリストファーはついにまた混乱を極める上海に戻るが…

というのがこの小説の粗筋である。

 

私はこの小説の「孤児」という言葉の意味について考えていた。それは勿論両親を突然失った主人公のクリストファーのことであると最初はそう思っていたのだが、イシグロのメッセージは決してそれだけではなかった。「孤児」とはわれわれ自身がみな持っている少年や少女のときのような身の回りの世界に対するぼんやりとした「不安」や「揺らぎ」なのだ。

 

この小説で大きなテーマとなっていると感じたのは「アイデンティティ」である。

作中で少年時代の友人である日本人を両親に持つアキラがクリストファーに向かって「きみにはイギリス人らしさが足りないんだよ。」と言うシーンがある。またアキラは日本人僧侶から聞いた話として子供は「ブラインドの羽根板を留め付けておく撚り糸」のようなもので全世界を繋ぎとめておくのは僕たち子供の役目なんだ、とクリストファーに語るのである。

 

子供は大人にはない純粋さや感性を持っていて、それは大人には決して取り戻すことのできぬ儚いものである。それらは「ブラインドの羽根板」のように普段は殆ど意識することのない取るに足らない存在ではあるが、あるときふと思い出すようなもの。また知らず識らずのうちに世界を取り巻く重要な環境に及ぼされるものであるのだ。

「大人」と「子供」の境界はどこに存在するのだろうか。あるいは「大人」という存在自体が子供の延長線上に過ぎないのではないのか。クリストファーとアキラは住んでいる上海とは異なる国の出身の両親を持つがゆえに2つの国の間のどちらのアイデンティティを持つかで戸惑いや不安を子供ながらに感じ取っていたのではないのだろうか。

「大人」と「子供」の狭間で人間は誰しも「孤児」になりうるというのがイシグロなりのメッセージではないのかと私は感じた。

 

私はイシグロとは違って日本で生まれ、また今までずっと日本で育ってきた人間である。ゆえにアイデンティティというものをほとんど意識してこなかったし、戦争やそれに伴う支配が人々のアイデンティティに如何なる影響を及ぼすかということについては想像を巡らせるしかない。しかしグローバリゼーションが国際社会を支配する昨今においては、自分自身のアイデンティティと国家についての在り方を今一度顧みる必要があるように思えた。

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1920年代の上海