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途中下車リポートVol.2「小岩」

早くも途中下車の旅の第二弾、今回(7/20)は東京都江戸川区JR総武線小岩駅からのスタートである。

 

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小岩駅は東京都内の総武線の駅で最も西にある駅でこの駅を越えて江戸川を渡れば千葉県市川市に入る。なお、隣の新小岩駅には快速電車は停車するが当駅は各駅停車しか停車しない。

以下の地図は今回の途中下車ルートである。

 

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スタート地点は小岩駅の北口からである。

ちなみに「小岩」という地名は存在せず、行政地名としては東小岩・西小岩・南小岩・北小岩の4つに分かれている。なお小岩駅は南小岩に存在する。

歩いて10分弱で今回の第一の目的地であるラーメン二郎小岩店に到着。

 

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入店時に待つことなく着席できた。小ラーメン(750円)を購入。トッピングは全部。

 麺量は二郎標準か少な目だった。 ニンニクの刻み目は粗く、豚は小ぶりだがしっかりと味付けがしてあるもの。野菜はモヤシがメインのものであった、美味。ごちそうさまでした。

尚、小岩店は私が初めて訪れた二郎の店舗だったが、これで東京23区内で未だに訪れていない店舗は環七一之江店、西台店、桜台店だけとなった。

ラーメンを食べ終わった後は一軒家の立ち並ぶ住宅街を京成高砂駅方面に向かって歩く。

 

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小岩駅を北上して葛飾区に入ると「鎌倉」という地名がある。江戸時代には鎌倉新田と呼ばれており、地名の由来には

相模国鎌倉郡にある鎌倉八幡宮から勧請して八幡宮をこの地に置いたのでついた説。

相模国鎌倉郡から来た源右衛門がこの地を開発したことからついた説。

など

があるそうだ。

 

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 北に歩くと京成線の線路の下をくぐる。京成高砂駅の西側にあるガード(先程の地図を参照)の高さは桁下2mと比較的低いものである。以前にも紹介した港区の高輪ガード(提灯殺しガード)の低さには及ばないが、歩いてみると相当の圧迫感がある。

小岩駅前のラーメン二郎から1時間程で京成高砂駅に到着。

 

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京成高砂駅京成本線京成押上線北総鉄道線の乗り入れる京成電鉄の分岐点となる駅である。都心と成田空港を結ぶ特急スカイライナーは当駅には停車しないが、ここから北総鉄道線を経由するルート(成田スカイアクセス線)を走り、40分程で日暮里と成田空港とを結んでいる。

さて、ここから第二の目的地である柴又帝釈天へは歩いて15分程である。

 

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柴又駅前から伸びる帝釈天参道を通って本堂に向かう。

 

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参道の両側には土産物店や甘味処などが小規模ながらも立ち並んでいた。平日の昼間であったことから歩いている人は少なかったが、週末などは賑わうのだろう。

 

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参道を抜けると柴又帝釈天に着く。

柴又帝釈天(たいしゃくてん)とは正式名称を経栄山題経寺という日蓮宗の寺院であり、江戸時代の寛永年間にあたる1629年に開かれた。18世紀末に9代住職の日敬のときにこの寺の「帝釈天」が信仰を集めるようになり、柴又帝釈天として親しまれるようになった。この「帝釈天」とは本来は仏教の守護神である天部(天界に住む者の総称)の一部のことである。

夏目漱石の長編「彼岸過迄」や山田洋次監督の人気映画シリーズ「男はつらいよシリーズ」などの舞台になり観光名所として人気を集めた。

なお寺院としての本尊は大曼荼羅である。

本尊

寺院の本堂に安置され、信仰の対象として最も尊重されている中心的な仏像のこと。

曼荼羅

中央に「南無妙法蓮華経」の題目を大書し、その周囲に諸々の仏、菩薩、天、神などの名を書したもの。

境内は思っていたよりも小ぢんまりとしていて、静かであった。

柴又帝釈天の裏手に回り徒歩数分で江戸川の土手に出た。東京都と千葉県の都県境となっている江戸川には渡し舟の「矢切の渡し」がある。

 

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 矢切の渡しは東京都葛飾区柴又と千葉県松戸市下矢切を結ぶ江戸川で現存する唯一の渡船である。

矢切の渡しの始めは江戸時代の初期にまで遡る。その当時は江戸に出入りする交通は幕府によって厳しい規則が決められ、それを破った者は磔刑に処される程の厳罰が敷かれていた。ただし、江戸川(江戸時代の初期までは利根川がこの江戸川に注ぎ込んでいた)の両岸に田畑を持つ農民は関所の渡しを通ることなく自由に渡船で行き交いする特権を与えられた。これがいわゆる農民渡船というもので矢切の渡しの始まりである。

1616年には幕府は利根川水系河川の街道筋15ヵ所を渡船として指定しそれ以外の渡河を禁止。その一つにこの矢切の渡しが指定された。

なお江戸川の他に隅田川でも戦後までは運航を続けていた渡船もあったが、現在東京周辺の河川で定期運航をしているのはこの矢切の渡しのみである。

また神奈川県横須賀市浦賀湾にも浦賀の渡しという渡船が運航をしている。

片道200円(往復400円)を払って早速乗船。

 

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私以外の乗客は2人と船頭氏が1人で出航。

水上バスのような大人数が乗ることができる船で川を下ったことはあるが、このような小さな船で都会の川を渡るのは初めての経験だったし、ちょっと不思議な感覚だった。

 

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「いやぁさっきね、魚がハネて船の中に入っちゃって大変でしたよ。」と船頭氏。なるほどかすかに潮の匂いがする江戸川にも魚がいるらしい。

ほどなくして千葉県側の岸辺に着く間際には「岸からアオダイショウ?マムシだかが見えたっていうお客さんもいましたよ」とまた船頭氏。割となんでも生物がいるものなんだなぁ…と思いつつ、あっという間の船旅だった。

 

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千葉県側から東京都側を望む。遠くに東京スカイツリーが良く見える。

 

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江戸川の土手を北に向かい10分程歩くと新葛飾橋を渡ると金町駅はすぐである。

 

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終着地点である葛飾区の金町駅に着いた。

前回から余り日を置かずして2度目の「途中下車リポート」を載せてしまったのはちょっと安直だっただろうか……などと考えてしまったが、ラーメンと一風変わった交通機関を巡ることができたから、まぁいいか。

それでは今回はこの辺で。