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途中下車リポートVol.4「流鉄流山線」

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本日(9.5)は「ラーメン二郎松戸店」からのスタートである。

二郎は暑い時季に食べても寒い時季に食べても美味しい。1年中変わらぬ美味しさである。

さて、今回は流鉄流山線の旅である。

 

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流鉄流山線は千葉県松戸市馬橋駅から流山市流山駅までの5.7kmを結ぶ路線である。流鉄は2008年8月1日に社名を変更するまでは「総武流山電鉄」という社名だった。

1913年に流山の産業である味醂や醤油の運搬を目的として町民らが流山軽便鉄道を設立。1916年に馬橋-流山間で営業を開始した。

戦後何度かの社名変更を経て1971年に総武流山電鉄と社名を変更。1968年~72年の間は国鉄武蔵野線(当時)の建設資材運搬も請け負っていた。

流山線は全線が単線で、西武鉄道から譲渡された新101系を使用した5000型電車2両編成が走っている。また編成は「流馬」「流星」「若葉」「あかぎ」「なの花」という5つの違った塗色の車両が用いられている。

 

・馬橋(RN1)

 

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流山線の始発駅の馬橋駅である。JR常磐線に接続していて、各駅停車のみが停車し常磐線の快速列車は通過する。

ホームは島式ホーム2面1線だが日中は1番線のみを使用する。

プラットフォームを覆うのが木造の屋根であったり、出札口の雰囲気からしてレトロなローカル線の始発駅と言った様相である。東京都心からそう遠くないところにこのような路線があるのは貴重と言っても良いのではないか。

 

・幸谷(RN2)

 

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馬橋駅から1.7kmに位置するのが次の幸谷駅である。

プラットフォームはマンションの1階に位置している。この駅とJR新松戸駅は100m程しか離れていないため乗換えができる。

 

・小金城趾(RN3)

 

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馬橋駅から2.7kmの位置にあるのが3つ目の小金城趾駅である。

この駅は途中駅で唯一列車の行き違いのできる駅である。

駅名の由来にもなっている小金城趾(大谷口歴史公園)はここから徒歩で10分程の距離にある。

 

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小金城は1537年に今の千葉県一帯を支配していた千葉氏の重臣の高城氏の高城胤吉が築城した。1560年代の永禄年間には古河御所を追われた古河公方足利義氏の仮御所としての役割の整備と義氏に対抗する上杉謙信への対策のために拡張されたと考えられている。

1960年代~70年代頃まではまだ多くの城の遺構が残っていたが、住宅開発によって大半がなくなって、現在は城跡の一部の堀や土塁が残るのみである。

 

鰭ヶ崎(RN4)

 

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 流山駅から3.5kmに位置する鰭ヶ崎駅

駅名の「鰭ヶ崎」の地名の由来は近くの東福寺(814年に空海が開基されたと言われる)に伝わる「竜が背鰭の先(崎)を遺した」という伝説によるものだそうだ。

駅のすぐ北西には鰭ヶ崎三本松古墳という前方後円墳がある。

またこの駅の0.9km南にはJR武蔵野線つくばエクスプレス線の南流山駅がある。

 

・平和台(RN5)

 

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流山駅から5.0kmに位置するのが平和台駅である。

この駅と終着の流山駅とはわずか0.6kmしか離れておらず、プラットフォームの先からお互いの駅が見えるぐらいである。

駅前にはイトーヨーカドーや千葉県立流山南高校がある。高校に至近なこともあってか、プラットフォームには高校生が多く電車を待っていた。

 

・流山(RN6)

 

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馬橋駅から5.6km、終着の流山駅に到着する。この駅の1番線の奥には検車区があり、直接本線から入庫できる構造になっている。

駅舎は1916年に完成した歴史ある建物であり、これまでに修理・改造が何度かされている。

 

千葉県流山市は人口186,863人(2018年4月1日現在)を持つ市である。首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスが開通した2005年以降は人口が増加し、人口増加率は千葉県下54市町村の中で最も高い自治体となっている。

明治時代の廃藩置県では葛飾県の県庁が置かれ、後に千葉県東葛飾郡流山町となり1967年に市制が施行され流山市となった。

近代以前は近くを流れる江戸川の舟運を使った味醂の製造で栄えた。

 

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流山駅から歩いて5分程のところには近藤勇戊辰戦争時に最後に布陣した陣屋が残されている。

 

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新選組の局長近藤勇は1868年の鳥羽・伏見の戦いで新政府軍に敗れた後江戸に逃れ、「大久保大和」という偽名を使って同じ新選組土方歳三らと共に潜伏していた。その年の4月にここ下総国流山の長岡屋という酒類問屋で部下とともに最終目的地の会津へと向かうために結集していたが、近藤は新政府軍に発見され捕らえられた。

近藤は大久保の名を貫き通したが新政府軍側に見破られ、中山道板橋宿の近くで斬首された。

 

近藤勇陣屋跡の他にも流山には歴史的な建物がいくつかあった。私は今までそれを知らなかったので意外に感じた。私は流山が戊辰戦争の舞台になったことは知らなかった。知らない街を途中下車して散策するとこういう意外な事実に気付くので興味深くて面白いところである。

 

東京近郊のローカル線気分を味わいたいなら、流山線に行かれてはいかがだろうか。

それでは今回はこの辺で。

 

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