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八王子城

ブログの記事を書くときはいつも書き出しで手こずる。一番初めの文さえ書くことができればあとは続いて書くことができるのだが、中々出て来ないのが初めの文である。

 という訳で今回は八王子城に行った話である。

 

高尾駅北口からバスに乗って10分程の「霊園前八王子城跡入口」バス停で下車する。

 

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ここからは歩いて15分程で八王子城の入口に行くのだが、ガイダンス施設に隣接している「八王子城跡」バス停の方が入口には近い。しかし、八王子城跡行のバスは土休日しか運行しておらずほぼ1時間に1本の運行間隔なので利用する際は注意が必要である。

 

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ガイダンス施設内にあったボタンを押すと場所が光る博物館などにはよくある展示なのだが、光る部分が地形の起伏だけが再現されていて真っ白なので全く何も頭に入ってこない。如何にも「お役所仕事」のような感じがして残念な思いになった。

 

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本丸跡への登り口

八王子城は戦国時代に関東一円を支配していた北条氏の城で、関東の西部の軍事拠点であった。

八王子城のある深沢山(後に城山と呼ばれるようになる)は華厳菩薩妙行が修行中に牛頭大王と8人の王子が現れたとして916年に八王子大権現を祀ったといわれ、それが「八王子」の地名の由来になったとされる。

八王子城は北条家第三代当主の氏康の三男氏照が1571年頃より築城を開始し1587年より本拠とした。

広大な山の谷や尾根を利用して築かれた山城で、それらの地形を利用して防衛・攻撃を発揮させようとした。

 

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北条氏の勢力図

八王子城は1590年、天下統一を進める豊臣秀吉小田原征伐を行いそれに伴って秀吉の軍勢に加わった前田利家上杉景勝・真田正幸らの部隊によって攻撃を受けて落城した。一説によると城内が余りにも広大だったため陥落した際には城自体がまだ未完成だったともいわれている。

この一環の小田原征伐によって北条氏は敗北し、城主の氏照は兄の氏政とともに切腹した。新しく城主になった徳川家康によって八王子城は廃城となった。

また八王子城は2006年に財団法人日本城郭協会の指定する「日本100名城」に指定された。

 

話を戻るが、山を登り本丸跡に行くことにする。

 

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 本丸に行くにはこのような山道を40分程登ることになる。

場所によっては道がかなり急になっているところもあった。連休中ということもあってか山登りをしている人が割と多く見られた。

 

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登山道からの眺め

本丸跡の手前の9合目付近には東京都心や横浜まで見渡すことのできる場所がある。登山客はここで一旦止まって皆眺めを楽しんでいた。

 

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本丸跡

山頂には本丸跡と八王子神社がある。八王子神社は先述の「八王子」という地名の由来になった神社である。

 

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本丸跡

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八王子神社

1時間弱山を登って感じたのは、これほどの山の中に城を築くのは相当な時間と労力がかかるだろうということである。

ピクニック気分で登ることのできる山ではあるが、暑くなって虫が増えてくる前に行くことができて良かったと感じた。登るには今のシーズンが最適だと思った。

 

それでは今回はこの辺で。