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歴史を学ぶ意味

2014年のバレンタインデー、2月14日は関東平野では記録的な豪雪となったのを読者の方々は覚えていらっしゃるだろうか。私はまさにその年の2月14日は公立高校の学科試験の日であった。

 私はそのとき今まで体験したことのない積雪の中を試験会場の高校に向かって坂道を上り続けた記憶がある。

その次の週には私の受験した高校では「特色検査」というものがあった。これは一部の高校が学科試験や面接とは別に設定する試験のことであるが、私の受験した高校では「口頭スピーチ5分」というものが設定されていた。

これは学校側が提示したいくつかのスピーチのテーマの中から1つだけ選んで面接官の前で5分間のスピーチをするものであった。私も本番の前に何度か練習をしたのだが、この5分というのが案外長くて曲者であった。しっかり構成を練らないと絶対に時間が余ってしまうのである。

いよいよ当日、発表の前に30分間テーマを選んで構成を練る時間が与えられるのだが、そのときに私が選んだのは最初から2番目に書かれてあった「歴史を学ぶ意味とは」というテーマであった。もっとも、私は最初は1番目のテーマでスピーチをしようと考えていたのであるが、途中で考え直して2番目にしたのであった。(残念ながら1番目に書かれてあったテーマの内容は今となっては忘れてしまった。)

 

受験当時の私は確か東日本大震災の例を出して「過去を知ることで未来についての予測を立てることができる」といったようなことをスピーチで話した記憶がある。

思い返してみると、このように重いトピックをたった30分のシンキングタイムで中学生にスピーチをさせるというのは少々酷であるかのように感じられるのであるが、今となっては私は良い体験をしたと思っている。

 

さて、一体「歴史を学ぶ意味」とは何なのであろうか。

よく言われる言葉で「人類の歴史は戦争の歴史」というものがある。古来から絶えず対立を繰り返し国同士、民族同士、宗教同士での戦争が繰り返し起こってきたのが人類の歴史と言えよう。

それは勿論日本も例外ではない。幸い日本は島国であるため長い間海外の勢力の脅威に晒されることは少なかったが、 19世紀に入ると帝国主義の波に飲まれ、20世紀には2度の世界大戦に巻き込まれることになる。第一次世界大戦では「戦勝国」として国際社会での主要国としての一翼を担うことになるが、第二次世界大戦では一転、当時はドイツ、イタリアと並んで「枢軸国」と呼ばれアメリカ、当時のソビエト連邦などの連合国と呼ばれる国々と対立した。

日本における第二次世界大戦は、1931年の柳条湖事件をきっかけをする満州事変に先立つ日中戦争から1941年12月の真珠湾攻撃マレー半島上陸に端を発する(アジア)太平洋戦争を経て1945年8月14日にポツダム宣言を受諾し連合国に無条件降伏するまでの14年間を指す場合が多い。

第二次世界大戦は人類史上最後の「総力戦」であると言われる。世界各国は政治・経済・社会・文化のあらゆる資本を戦争のためにつぎ込んだ。

日本も有名なところで「治安維持法」「国家総動員法」といった法律を制定し、戦争遂行のために国民のあらゆる権利を縛った。

しかし、読者の方々も御存知のように最初こそ勢いが見えていた日本も連合国の、特にアメリカの圧倒的な経済力・工業力の前に太刀打ちすることができず敗戦という結果を迎えるのである。

私が思うにこの戦争の最も愚かなところは、途中で終わりにするタイミングが無数にあったのにも関わらずに軍や政府がその選択をせずに東京大空襲沖縄戦そして広島・長崎の二度の原子爆弾の投下という稀に見る悲劇を招いてしまったことにあると考える。また日本の加害性について考えると、朝鮮半島は台湾をはじめとした東アジア・東南アジアの国々に対する侵略行為も忘れてはならない事実である。

 

「歴史には”if”はない」という言葉もこれまで使い古されるほどに使われてきた言葉であるが、これは単なる思考停止に過ぎない。歴史というのはこれは言わば選択の繰り返しであり、それらの選択の分岐を考えるというのは決して無意味なものではないだろう。なぜならそれは「未来」の選択を考える上で重要な視点になるからである。

「歴史を学ぶ意味」というのはここにあるのではないだろうか、と今になっては思う。

 

日本は第二次世界大戦後は現在まで「戦争を1度もしたことのない」国となった。これは全世界を見ても日本を含め数か国しかない。これは大変喜ばしいことではあるが、これからも引き続き国際社会の発展のために平和を維持することの重要性を理解することが重要なのではないだろうか。

 

それでは今回はこの辺で。

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