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神奈川は連邦制をとる国家である(1)

今回は少し私の妄想にお付き合いいただきたい。

 

ちょっと前にツイッターでこんなつぶやきをした。
このつぶやきをした直後にフォロワーからの指摘があったので以下のように修正を加えた。


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今回はさらに前回の案を修正し、再掲することにした。

人口が100万人を超える横浜市川崎市は「直轄市」という名称で州と同等の権限を持つ行政区分として、その中に郡を設置するという形をとった。また横浜直轄市を構成する郡は3つから4つに増やした。

 

横浜市に住む神奈川県民の私は常々、良くも悪くも神奈川には全く統一感がないということを感じている。それは横浜・川崎という百万都市をはじめとして相模原、横須賀、藤沢、鎌倉、厚木、小田原という中規模都市が散在していてまぁ全国的にもそこそこ知られているといったことではないのだろうかと思うところなのである。

だったら地域ごとに州として独立させて神奈川連邦を作ればいいじゃないか?

と考えた次第である。

横浜直轄市

横浜郡(横浜市西区、中区、南区)

横浜市の中心部である関内と横浜港を中心とした地域であり、地方の方がまず思い浮かべる「横浜像」はだいたいこのあたりである。

横浜港は江戸幕末期の1858年に締結された日米修好通商条約で開港した港のひとつ(神奈川)である。開港当時、アメリカは当初は東海道沿いの神奈川宿の近辺を求めたのであるが、江戸幕府は日本人と外国人のトラブルを避けるという名目で神奈川宿から少し離れた当時の横浜村を開港地として選んだ。横浜村も神奈川宿の範囲内だというのが幕府側の言い分だった。

当時はうら淋しい漁村に過ぎなかった横浜村は開港した後は江戸に近いという地の利を活かして成長し、外国人が住むことを許された「居留地」には多くの外国人商人や学者が渡航した。中区にある日本最大の中華街はこの外国人居留地の名残である。

日本第二位の高さのある横浜ランドマークタワーなど多くの高層ビルが立ち並ぶみなとみらい21地区は元々三菱造船の造船所があった地域で、再開発によって1980年代後半から1990年代にかけて開発が進められ、バブル経済が弾けた後は開発が減速したが、近年また盛り返してきており、なお成長している地域である。もしかしたら、もう少しバブルが弾けるのが遅ければみなとみらいは日本のドバイのような街になっていたかもしれない、と勝手に思っている。

決してdisる訳ではないが、個人的にみなとみらい21は外からやって来た人向けの「作られた横浜」的な空気を感じずにはいられない。

この地域はみなとみらいや中華街、高級住宅街の山手のある根岸線の線路の北側と、昔ながらの下町の広がる線路の南側の2つの面を持つ。伊勢佐木町はかつて横浜随一の繁華街として栄えたが今は百貨店の撤退などで衰退気味である。そういうところもまた、横浜の面白いところでもある。

 

磯子郡(横浜市港南区磯子区金沢区)

古くは漁港として栄えた根岸や磯子、金沢中心とした地域である。ちなみに往年の名歌手美空ひばり磯子区鮮魚店の家の出身である。

ここも比較的下町の要素が強い地域であるが金沢区の埋め立て地には八景島シーパラダイスというアミューズメント施設があったり新しい街が開発されたりしている。港南区には上大岡という京急電鉄のすべての列車が停車する駅がある。いまいち目ぼしいものに欠く地域ではある。

 

保土ヶ谷郡(横浜市保土ヶ谷区、旭区、瀬谷区泉区、戸塚区、栄区)

横浜市の中でも高齢化の進む地域である。瀬谷区泉区などは「港町・横浜」のイメージとは正反対の田畑が広がるところがありそういう横浜しか知らない人にとっては衝撃を受ける地域である。

 

神奈川郡(横浜市神奈川区鶴見区港北区)

江戸時代、東海道神奈川宿東海道53次と呼ばれた宿場町の中でも屈指の規模を誇った。京急電鉄横浜駅の 1つ品川寄りの手前には「神奈川駅」という駅があるのだが、横浜駅とは比べ物にならないぐらいショボい駅で普通電車しか停まらない駅なので注意が必要である。

鶴見区横浜市政令指定都市になって設置された区で唯一その区域が1度も変わっていない区である。

港北区は全国の政令指定都市行政区の中で最も人口が多い区で(352,863人、2019年6月1日現在)ある。東京と横浜の中間という地理条件から横浜市の中でも人気の地域である。

 

荏田郡(横浜市緑区都筑区青葉区)

これら3つの区はすべて元々は港北区であったが、人口増加に伴い分離した区である。

ちなみに私は「港北区」という名前は好きであって、それは港を中心に栄えてきた横浜らしいネーミングだと感じられるからである。もっとも今の港北区は港どころか海にも面していないのだが。

荏田というのは青葉区にある地名から取った。青葉区を通る東急田園都市線の駅は「江田」駅である。

青葉区東急電鉄が開発した多摩田園都市を中心とした地域、都筑区横浜市が開発した港北ニュータウンを中心としたそれぞれ新興住宅地をルーツに置く地域である。

この地区の住人は専ら東京での生活が中心で横浜には重きを置かないと言われ「横浜都民」と揶揄されることもある。

 

川崎直轄市

川崎郡(川崎市川崎区、幸区中原区)

北西から南東に延びる川崎市の中で多摩川の河口に近い南東部の地域である。多摩川下流は江戸時代までは六郷川と呼ばれ六郷の渡しを越えるとすぐに川崎宿であった。

大正・昭和期に入ると現在の川崎区の周辺には外国人、特に朝鮮半島からの人々が多く居住し、現在もコリアタウンを形成している。

中原区武蔵小杉駅周辺地域の開発が近年急速に進みタワーマンションが林立し、住宅地としての人気を集めている。

 

高津郡(川崎市高津区、宮前区、多摩区麻生区)

川崎市の南部と比べて新しい住宅地が多く、新百合ヶ丘溝の口などの主要駅もあるエリアである。

多摩区の生田にある明治大学生田キャンパスは戦前は陸軍登戸研究所が存在し、中国大陸向けの偽札製造やはたまた念力兵器といった突拍子もない兵器の研究など行う一大軍事拠点があった。その一部は現在でも資料館としてキャンパス内に残っている。また川崎の中でも人口増加の激しい地域で、川崎市立宮前平中学校は日本一生徒数の多い公立中学校である。

 

ちょっと長くなってしまったので他の州の話は次の記事に回すことにする。それでは今回はこの辺で。