SHIINBLOG

地名の話

2020年度春に山手線・京浜東北線の新駅「高輪ゲートウェイ」駅が暫定開業する。

trafficnews.jp

山手線の駅としては1971年に開業した西日暮里駅以来49年振りに、京浜東北線の駅としては2001年に開業したさいたま新都心駅以来19年ぶりの新駅の開業である。

 

さて、この新駅の名前であるがJR東日本は建設にあたって駅名を一般公募し、60,000件を超える応募があった。

最も多かったのが「高輪」で次いで「芝浦」、3位が「芝浜」、4位が「新品川」という結果であった。ちなみに「高輪ゲートウェイ」は36票で130位であった。

 

1位で選ばれた駅名がそのまま駅名にならないのは果たして一般公募をした意義があるのかと甚だ疑問ではあるのだが、JR東日本側の見解としては「古来より街道が通じ江戸の玄関口「高輪大木戸」(Gateway) として賑わいをみせた地であり、(中略)多くの人々をつなぐ結節点として、街全体の発展につながるようにとの願いを込めて選定した」とのことらしい。

確かに1位の「高輪」という地名は駅名に含まれてはいるので全く公募結果を無視したものではないと捉えることもできるが、今一つ釈然としないものはある。また、JR東日本は当駅一帯を「グローバルゲートウェイ品川」として再開発地域に指定しており会社としてもプロジェクトをアピールするという点で「ゲートウェイ」という名前を盛り込もうとする意図は見える。

 

マンションやショッピングセンターとは違って鉄道駅は非常に公共性・公益性が高い施設だ。鉄道駅というものは近隣の住民や利用客に対して親しみやすく、かつ分かりやすく周辺の地名や歴史を考慮した名前が相応しいのではないだろうか。

そこにこの高輪「ゲートウェイ」という名前は個人的にはいささか奇抜で、違和感を覚えると感じるのである。そもそも高輪大木戸からゲートウェイという言葉を連想させるのは余りにも無理があり、安直ではないだろうか。何でも英語に変換すればいいという話ではない。

 

実際、この駅名に違和感を覚えたエッセイストの能町みね子氏や地図研究家の今井啓介氏らはインターネットで署名を募り、JR東日本側に陳情を申し出るという事態にまで発展した。そこでJR側は「駅名を変えるのではなく利用者に親しまれる街づくりを目指す。」という趣旨のコメントを出している。

JR側としてはここに来てそう簡単に駅名を変更するというわけにはいかないのだろうが、駅名は地図や案内標識などありとあらゆる場所に残るものである。私は、利用者の視点に立ってどのような街づくりが最適であるべきかを今一度検討することが必要だと強く望んでいる。

 

高輪ゲートウェイ駅だけでなく、東京近辺の鉄道駅や鉄道路線の"変容"ぶりは凄まじいい。

東京から埼玉や北関東方面へ路線を伸ばす東武鉄道は自らが開発に携わった東京スカイツリーが2012年に開業したことをきっかけにターミナル駅の浅草から埼玉の東武動物公園駅までの区間をそれまでの伊勢崎線という名前から「東武スカイツリーライン」と改称、また2012年には埼玉県の大宮駅から千葉県の船橋駅を結ぶ野田線を「東武アーバンパークライン」と改称した。

百歩譲って「スカイツリーライン」は墨田区にあるスカイツリー知名度が高くまだどこの路線か想像しやすいが、一方「アーバンパークライン」だけではそもそもどこにあるのか初見では殆ど分からないだろう。そもそも野田線の通る春日部や野田や柏がアーバンなのかということに検討が必要になると思われるのだが…(あくまで誹謗中傷の意図はありません)

 

また東京都交通局も2017年に三ノ輪橋と早稲田を結ぶ都電荒川線を愛称を「東京さくらトラム」と定めた。こちらも長い間「都電荒川線」として親しまれていただけに、この愛称には批判が出た。都としては利用客増加や外国人観光客への分かりやすさを目的として愛称を制定しようということだったらしいが、果たして「東京さくらトラム」がそれらの役割を果たすことができるのかは疑問である。

 

これらの事例に共通しているのは鉄道会社や運営側が利用者の意見を軽視し、長い間利用者の間で親しまれてきた「名前」を簡単に捨てているという点である。

日本語には「名は体を表す」や「看板に偽りなし」という言葉があるように、名前にはまず第一印象を決定づけるものという認識が人々にはあったはずである。

鉄道の路線名や駅名に安直なカタカナ語や取って付けたような曖昧な言葉を選定するのは、もうその土地や歴史、ひいてはそこに住む人々への敬意が著しく欠けているのではないか、と私は強く感じる。

 

戦後の高度経済成長期に開発された街の地名を見れば、元々あった地名が住宅開発を加えられたことにより「●●が丘」「●●台」などといった判を押したように同じものに変わっているのがよく分かる。

そういった土地には画一化された集合住宅(団地)が立ち並びベッドタウンと呼ばれ、都心と郊外を往復する人たちの住まいを提供した。ベッドタウンに住む人々からは「郷土」という意識が遠のき「郷土愛」が失われた、と言われることが多い。

 もちろん地名がその住民に受け入れられて親しまれるものであれば都市開発としては成功なのかもしれない。(実際に戦前に当時の田園都市会社が開発を手掛けた大田区の「田園調布」はその後のブランドイメージの向上に成功した。)

しかし私はそれよりも歴史や風土、文化に密着した街づくりを行うことが重要だと考える。郷土愛を産み、幅広い世代に親しまれる街こそがこれからの超少子高齢社会を迎える上で生き残ることができる街だからだ。

 

これは余談だが私は小学生のときに地元の図書館にあった「横浜の地名」という郷土資料が好きで何度も読んだことがある。地名の由来は歴史上の出来事だったり、地形であったり、または寓話的な出来事だったり様々であった。地名は歴史や文化を残す最も身近な存在の一つとして大切にしていきたいものである。

 

それでは今回はこの辺で。