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途中下車リポートVol.5「芝山鉄道線・東成田駅」

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山武郡芝山町の航空宇宙博物館に展示されているボーイング747-400型機の模型

今回は大学のゼミのフィールドワークで成田に行ったついでに、芝山鉄道線に乗車した。

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 京成成田駅から京成東成田線経由の芝山千代田行に乗る。芝山千代田までの所要時間は9分である。

 

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芝山鉄道線は全長2.2kmの路線である。これは日本で最も全長距離の短い鉄道路線(自分の会社で線路や駅等の施設を保有する第一種鉄道事業者に限る)である。全長2.2kmのうち1,295mがトンネル区間となっている。

芝山鉄道線は2002年10月に東成田駅-芝山千代田駅間が開通した。

路線を運営する芝山鉄道株式会社は成田空港が開港することによって交通上の不便を被る空港東部の住民に対する補償として設立された、国が主体の法人(第三セクター)が運営する鉄道路線である。

尚現在の芝山鉄道株式会社は株式の68.40%を成田空港を運営する成田空港株式会社が、14.59%を千葉県が保有している。

 

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直通電車の「(東成田)芝山」の行先表示

日中は多くが京成成田-(京成東成田線)-東成田-芝山千代田間の区間運転である。

 

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京成成田を発車すると東に向かって電車は走る。

 

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京成本線東成田線との分岐点にあるのが駒井野信号場である。左に分かれている線路が空港第2ビル方面である。

駒井野信号場を通過すると東成田駅に到着する。東成田駅については後述する。

東成田駅を出発すると間もなく終着芝山千代田駅に到着する。

 

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ホームと線路の1面1線の駅である。

この駅で電車から降りたのは私を含めて数名。芝山鉄道線区間は全ての電車に制服警官が同乗しているらしいのだが、私はそれらしき警察官には遭遇しなかった。

 

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朝時間帯を除き毎時1~2本程の運転間隔である。

 

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また芝山千代田駅ではSuicaPASMOなどの交通系ICカードを使うことができない。

京成成田駅からPASMOで入場してしまった私は駅の窓口で処理票を貰って後で精算することになった。

 

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駅前の隣はすぐ空港の敷地であるが、ここはフェンスで2重に囲われている。これは成田空港がかつては空港反対闘争に巻き込まれたことの名残である。

成田国際空港は1978年5月に「新東京国際空港」として開港した(今年2018年で開港40周年)が、開港までには地元住民や学生運動家などによる大規模な反対運動が起こった。

 

1960年代、高度経済成長期に突入し航空路線の需要が高まると東京国際空港(羽田空港の離発着回数が増加し慢性的な混雑状態に陥った。

そこで、政府は羽田空港に代わる第2国際空港の整備を閣議決定した。

政府は複数の候補地を提案したが、最終的に成田市三里塚に新空港を建設することを1966年7月に閣議決定した。

 

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1965年9月に撮影された現在の第1ターミナル・A滑走路付近の航空写真

三里塚宮内庁御料牧場や県有林が空港建設接収地全体の40%程を占め、土地接収も比較的容易にできるという考えであった。

しかし周辺住民の空港反対運動は根強く、また1960年代当時は学生運動の全盛期だったこともあり学生運動家(特に新左翼と呼ばれる派閥)も加わり成田闘争と呼ばれ熾烈を極めた。

また開港直前には反対派が完成したばかりの空港管制塔を占拠する事件があり開港が延期された。

開港後も周辺住民と行政との衝突は度々発生した。空港内に入る道には検問所が設置され、千葉県警成田国際空港警備隊の警察官が常時空港内を巡回した。

 

そして未だに空港内には反対派住民が引き渡しを拒否しているために残っている土地がいくつかある。

成田空港の後に建設された関西国際空港中部国際空港は成田建設の際に発生した土地収用や騒音に関する問題を抑えるため海上を埋め立てる方法で建設された。

成田空港闘争は日本で発生した大きな住民運動のひとつとして歴史に残っている。

 

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芝山千代田駅のホームからはA滑走路や貨物区画が見える。

京成成田行の電車に戻って1つ手前の東成田駅で降りる。

 

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東成田駅は1978年5月21日に成田空港が開港と同時に成田空港駅として開業した。

元々成田空港へのアクセスには「成田新幹線構想」があった。

これは東京都心と成田空港を直結される路線として高速鉄道の整備を進める計画で、1974年に当時の国鉄が先行工事を開始したが、建設地の住民や自治体からの反対が根強く土地買収にも難航した。買収ができたのが東京駅の一部と成田市の一部の土地及び空港に接続する土地、その他わずかだったため1983年に成田新幹線の工事は凍結され、86年に政府は計画を断念した。

しかし、成田新幹線構想が白紙化された後も空港アクセス鉄道の計画は進められ、新幹線建設の際に取得した土地を活用し、JR成田線を分岐させるルートと北総鉄道線を延伸して空港に接続するルートが決定した。

 

1991年にはJR成田線から分岐して成田空港に乗り入れる路線が開通し、翌年にはJR・京成線の空港第2ビル駅が開業した。

また2010年には北総鉄道線を延伸する形で成田スカイアクセス線が開通、スカイライナーの所要時間は日暮里・空港第2ビル間の所要時間が51分から36分に大幅に短縮された。

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さて、東成田駅に戻ろう。

東成田駅は現在ホームと線路は1面2線を使用しているが、かつてのスカイライナー専用ホームが未だに残っていて、現在のホームからもその様子を見ることができる。

駅構内は全体的に薄暗くて廃墟のような雰囲気がある。

 

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東成田駅は空港アクセスの役割が成田空港駅空港第2ビル駅に移った後も空港会社の関係者の需要はあるそうだ。

しかし私が降りた日中の時間帯はほとんど駅構内には人はおらず、まるで忘れ去られてしまったかのようであった。

 

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東成田駅から空港第2ビル駅の間には連絡通路があり相互に通り抜けることができる。

連絡通路はさながらSF映画に出てくるような雰囲気があり、一定間隔で監視カメラが設置されていることもあり異様な空気を醸し出していた。

 

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歩いて6,7分程で空港第2ビル駅に到着。ほとんど誰もいない東成田駅から急に空港客が溢れるこの駅に着くので何だかワープしたような感覚だった。

 

空港を使うときには行くことのない、成田の裏側を覗くことのできた旅であった。先日の東成田駅のスカイライナーホームの公開は行くことができなかったが、また機会があったら一般公開して欲しいと思った。

それでは今回はこの辺で。