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NHK放送博物館

東京都港区にある愛宕山は東京23区にある自然の山で一番標高の高い山(25.9m)である。

 愛宕山には愛宕神社があり、江戸時代から信仰とそこからの景観で名高い場所だった。明治時代に入って地理教育のために定められた『鉄道唱歌』の第一番にも愛宕山は「愛宕の山に入りのこる 月を旅路の友として」と歌われている。

余談ではあるが、人造の山を含めて23区内で最も標高が高いのは新宿区の戸山公園にある箱根山(44.6m)である。

 現在の愛宕山には愛宕神社とその隣にNHK放送博物館がある。

www.nhk.or.jp

 

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東京メトロ日比谷線神谷町駅から徒歩5分ほどの場所である。

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NHK放送博物館

博物館の入館料は無料である。内容はNHKの歴史やテレビ制作を展示するというもので、古い機材や映像を見ることができる。

 

まず、この地にNHK放送博物館がある経緯から紹介しよう。 

1920年代の初頭から日本ではアメチュア無線家の間で無線通信が行われており、各新聞社などが国に対してラジオ放送の許可を求めていた。しかし当時の逓信省はラジオ放送は公共性が高いものという方針を固め、東京・大阪・名古屋から公益法人として1団体ずつラジオ放送の許可を出した。

日本初のラジオ放送は東京・芝浦の東京高等工芸学校内の仮送信所から送信された。

JOAK,JOAK,こちらは東京放送局であります。こんにち只今より放送を開始致します。(京田武夫アナウンサーによるラジオ放送第一声)

 また同年7月には東京高等工芸学校からこの東京市芝区(当時)の愛宕山に移転し、また翌年には大阪・名古屋の放送局と統合して社団法人日本放送協会として誕生した。

現在一般的に使用されている"NHK"という略称は遡ること1936年の日伊定期文化交換放送の協定案で使われたのが初めであるが、正式に略称として決定したのは戦後のことである。

当時日本を占領していた連合国軍総司令部(GHQ)との協議では、当時はまだなかった民間放送との区別をつけるため"JBC"などの略称も提案されたが、日本側から呼称しやすく、また丸みがなく角張っていて書きやすい"NHK(エヌ・エッチ・ケイ)"が提案され、即刻受け入れられ1946年の3月4日から使用され、今に至っている。

1953年の2月1日からテレビの地上アナログ放送がスタートし、当初は千代田区紀尾井町から放送を行ったいたが、1964年の東京オリンピックをきっかけに渋谷区神南に「国際放送センター」を開設し、後に放送機能を全面移行しNHK東京放送センターとして運用を開始した。

 

愛宕山の送信所は1956年に世界初の放送専門博物館として「NHK放送博物館」として開館し、1968年に現在の4階建てのビルが新築されたため、送信所として機能していた当時の建物は現存しない。

 

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館内1階に展示されている昔の放送機材

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VTR装置

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マイクの変遷

館内の展示であるが、私のおすすめは3階の「ヒストリーゾーン」である。

ここではラジオ放送開始から日本で初めて「イ」を映し出したテレビ撮像機をはじめとした放送機材が揃っていてとても興味深かった。1964年の東京オリンピックの開会式などを撮影したテレビカメラや渋谷の放送センターのニュースセンターで実際に2016年まで使われていた「送出卓」の展示は迫力のあるものだった。

送出卓とは国内外から入ってくる中継映像や既に編集された映像を即時に切り替えニュースに出していくコントロールパネルで、展示にあった「スイッチャー卓」は2001年の米同時多発テロや2011年の東日本大震災のときにも使われたものであった。

 

全館回ってみた感想としては「NHKオタク向け」といった雰囲気が非常に強いと感じた。それだけマニアックな要素も強いということだが、NHK好きの人にとってはかなり楽しめる博物館だと思うので、機会があれば一度行かれてみてはどうだろうか。

 

それでは今回はこの辺で。