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ビートたけしの「金返せ」から始まる美しい東京オリンピック

7月24日放送の「新・情報7days ニュースキャスター」での冒頭のビートたけしのコメントが話題になっていた。以下、書き起こし。

ビートたけし「すごかったっすねぇ、昨日の開会式。面白かったっすねぇ~うん、随分寝ちゃいましたよ。驚きました。金返してほしいですね。お金。」

安住紳一郎アナ「お金払ってますか?」

たけし「税金からいくらか出してるんでしょ?金返せよ、あれ。困ったねぇ~」

安住アナ「いろいろ制約のある中で……」 

たけし「外国も、恥ずかしくて行けないよ、俺。本音はそうでしょ?あれ、素晴らしかったっすか?」

安住アナ「なかなか制約がある中で……いろいろ……」

たけし「制約があったw」

安住アナ「演出家などが代わったりとか……」

たけし「演出家なんか要らないもん、あれ」

安住アナ「あと何年かして振り返るとどのシーンを振り返るのかなと思うとやはり……」

たけし「いかに馬鹿だったかが分かるでしょうね。日本は。

www.oricon.co.jp

 

私は当該番組を見ていないが後からこの部分を見て、言い方があまりにも痛烈なものなので爆笑してしまった。(たけしはその後、「ドローンなんてあれコンピューター乗せてるだけでしょ?」とか「女子水球なんて誰が見るんだよ」と明らかにやりすぎなコメントもしているようである。)

御存知の通りたけしは過去には映画監督北野武として何度もメガホンを取っており国際的な評価も高い。クリエイターとして、腹にすえかねるところはあったのだろう。

もっとも、たけしのような問題しか存在しない人物を開会式に関わらせていたら即座にクビになっていただろうが。

 

私も思うところあって開会式はマジのマジでテレビでは1秒も見ておらず、ツイッターのタイムラインに流れてくるツイートからしか情報を得ていないから、出来の云々についてはコメントできないが、一つだけ言いたいことがあるとするならば入場行進のあのプラカード。

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何なんですか、これは。

これをネットで見たときは本気で目を疑った。

いや、まぁ誰が見たって漫画の吹き出しをモチーフにしていることはすぐに分かるだろうけれども、いや、何なんすか、これ。本気なんですか、マジで。

こんなウンコみたいな吹き出しに国名を入れるんですか。

いやーーーー本当に凄いなと思いましたよ。悪い意味で。

こんなんじゃ国威発揚もできないでしょ、もう。

これ見てコミケニコニコ超会議とかそういう類のイベントかと思ったもん、俺は。

 

後から生まれてくる子供たちに今年の東京オリンピックのことを話すときに、この絵を見せるのかよと思うと涙が出てきそうになるね。まぁ誰が考えたのか知りませんが。

 

これで腹立たしいのが「こんな制限のあるなかでよく頑張った」とか「開会式を作り上げた人は頑張ってくれたのだから叩くのは可哀想」とか、「もうオリンピックは始まったんだから皆で応援するべきだ」そういった意見が散見されることである。

そりゃここまで開会式に漕ぎつけたのは、関係者の血の滲むような努力があったからでそれは認められるべきだとは思うが、一生懸命に準備したからと言って無条件に称揚されるのが当然という訳ではない。「現場は頑張ったから叩くな」というのは全く以て支離滅裂、無責任である。

日本がここまでオリンピックに突き進んでいったのもこういう「事なかれ主義」で「決まってしまったものは仕方ない」「決めたことはやらねばならない」という思考停止が招いた結果だ。思い返せば中止できる機会は何度もあっただろうし(政治家は認めないだろうが)、それを調整・決断できなかったのは罪であるとしか言いようがない。

電通や政府のせいにするのは簡単だが、何度も言うようだが「なぜやめられなかったのか」「なぜ誰も責任を取らなかったのか」というのは徹底して検証する必要があると思う。そしてそれはこの国に住むすべての人間が自分たちがなぜ東京オリンピックを受け入れたのだろうと自問自答するべきだ。

 

東京オリンピックの開閉会式の制作を「降板」したMIKIKO氏らの当初案では冒頭、大友克洋原作の漫画『AKIRA』の主人公が乗っているバイクが颯爽と入場してくるところから始まるという構成だった。

bunshun.jp

この『AKIRA』という漫画は第三次世界大戦が終わった後の反政府活動が渦巻く東京を舞台とするストーリーなのである。私は審らかにその漫画を読んではいないので突っ込んだことは申し上げることができないが、かなり面白いなと思った。オリンピックに反対する漫画の登場人物がオリンピックの開会式に出てくるというのだからかなり挑戦的ではないか。

これは私の推測に過ぎないが、これは高度に商業化・政治化した「祭典」に膨れ上がったオリンピックに対する自己批判的なメッセージではないかと考える。国際化・多様性の中でオリンピックが果たせる意義とは何か、ということを観客に問うはずだったのだと考えている。

 

1970年に大阪で開催された日本万国博覧会(大阪万博)のテーマは「人類の進歩と調和(Progress and Hermony for Mankind)」であった。大阪万博の事務総長理事を務めていた元通産省官僚の新井真一は芸術家の岡本太郎にテーマ館の監督を依頼したが、岡本は万博のテーマである「人類の進歩と調和」に反発していた。「人類は本当に進歩しているのか、調和とは何か」ということを自問自答した末、岡本は丹下健三が設計した大屋根をブチ抜く高さ70mの「太陽の塔」を設計した。

私が凄いと思うのは自分の設計した大屋根をブチ抜いて塔を建てた岡本を認めた丹下で、いくらでもボツにできたのにあえてそれをしなかった丹下の柔軟性にも目を向けておきたい。

 

今日の社会においては特に、オリンピックや万博というのは政治的な力学や商業主義的な考えが強く働くが故に、演出家や芸術家はそのことを強く自覚し、文化とは何か、芸術とは何か、社会とは何かということを観る者に訴えかけてほしい。オリンピックや万博は人間社会のことを考えるきっかけになるべきだと私は思う。

 

たけしの「外国も、恥ずかしくて行けないよ、俺。」というのはまさに「何も考えていない、薄っぺらい日本人」というのがあの開会式からひしひしと感じられたから「恥ずかしい」のではないかと思う。

 

とりあえず俺はオリンピックはテレビで観る予定ないし、8月2日からFOXチャンネルで24-TWENTY FOUR-の全シリーズ一挙放送があるので皆さんCS契約して24を観ましょう。

 

以上