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「日本の原風景」と国道16号線 『国道16号線スタディーズ 二〇〇〇年代の郊外とロードサイドを読む』


「東京」の範囲を考えたとき、一体どこまでを「東京」と呼べるだろうか?

 

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多くの人は、いわゆる東京23区と呼ばれる東京都区部、あるいは東京都を指すだろうと思う。しかし、ご存知のように東京都に存在しないのにも関わらず、名称に「東京」とつく場所は多く存在する。例えば「東京ディズニーランド」「東京ドイツ村」「新東京国際空港(成田空港の旧称)」は「東京」と名前が付くもののすべて千葉県にある。さらに、大手家電メーカー・パナソニックの「東京製作所」はなんと群馬県大泉町にある。

「東京」の範囲の定義の一つとして、私は「国道16号」を基準にできるのではないかと考えている。なぜなら、国道16号が東京というひとつの都市の発展に深く結びつき、また「都心」ではない「郊外」として発展したからである。

国道16号線については、以前にも何回か記事を書いているのが、今回は『国道16号線スタディーズ 二〇〇〇年代の郊外とロードサイドを読む(2018)』を紹介しながら国道16号について書くことにする。

 

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東京都区部、いわゆる東京23区の人口は972万2,305人 *1 である。

しかし、都区部に多摩地域島嶼部を加えた東京都の人口は1,404万9,104人 *2、さらに範囲を広げて首都圏(関東地方の1都6県に山梨県を加えた範囲 *3 )の人口は4,300万人*4を超え、首都圏(東京大都市圏)は世界一人口の多い都市圏として知られている。これはおおよそ日本の人口の3人に一人が首都圏に住んでいる計算になる。

 

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国道16号線

首都圏のちょうど真ん中を通る国道16号は起終点をいずれも横浜市西区に置く環状国道である。ちなみに、起終点が同じ環状の国道は国道16号の他に愛知県の国道302号しかない。しかし、神奈川県横須賀市観音崎から千葉県富津市の富津岬の間は東京湾で分断されている。

 

国道16号が通る主な自治体は、反時計回りに横浜市横須賀市・富津市・木更津市袖ケ浦市千葉市柏市春日部市さいたま市川越市・八王子市・相模原市で一部を通っているだけの自治体もすべて併せると、東京都・神奈川県・千葉県・埼玉県の1都3県の27市町にのぼる。

 

ここで、国道のはじまりについて触れておこう。

明治に入り、政府が整備したのは東京と各地方都市を結ぶ道路であった。

1876年の太政官達第60号で県道・里道が定められたのが国道の始まりで、その後一等~三等国道に分類された。

1885年には一等~三等国道が改められ、1~44号の番号が振られた(いわゆる明治国道)。明治国道は1号は東京(日本橋)-横浜、2号は東京(日本橋)-大坂港…とすべて東京を起点としている。

 

国道16号が最初に国道に指定された区間は1887年に国道45号として指定された横浜-横須賀間である。横須賀には海軍の鎮守府があり、国道45号は貿易の中心地である横浜と横須賀の軍港を結ぶ路線として軍事的戦略面から整備された。

国道16号を現在のような環状道路として整備する計画が生まれたのが1930年代に入ってからのことで、これは関東大震災で被害を受けた東京の市街地が復興し、市街地が無秩序に外へ外へと広がっていくスプロール現象が顕著になり始めた頃である。

国道16号沿線の中でも、神奈川県相模原市は「軍都」として整備された町であり、市ヶ谷から移転し昭和天皇が「相武台」と名付けた陸軍士官学校(現・米軍キャンプ座間)や相模陸軍造兵廠(現・米軍相模総合補給廠)をはじめとする各種軍事施設が造営された。                         

戦後、1953年の新道路法の制定で横浜市から千葉市の間が「二級国道129号東京環状線」に千葉市から木更津市の間は「二級国道127号館山千葉線」の一部として国道に指定された。

国道16号が環状化したのは1963年のことであり、このときに二級国道127号館山千葉線の一部(木更津-千葉間)と二級国道129号東京環状線を一級国道16号に統合し、横須賀市街-走水間と富津-木更津市間の道路が国道指定され、横浜市を起終点に置く環状道路となった。この際、走水-富津間の東京湾を横断する「東京湾口道路」構想が持ち上がっているが、これは2008年に国土交通省により事実上の凍結が決定されている。

1965年の道路法の改正により、一級国道二級国道の区別がなくなったことで「一般国道16号」となった。

 

先述の通り、国道16号は横浜、千葉、柏、さいたま市、八王子市など大規模な東京の衛星都市*5を結んでおり、膨大な人口を抱えることから消費・社会・文化の研究対象としてしばしば取り上げられることがある。

国道16号沿線の特徴として、自動車で来店することをファミリー層を主なターゲットとし、大規模な駐車場を備えた商業店舗である「ロードサイド店舗」が集積していること点が挙げられる。

国道16号線スタディーズ』では「ロードサイド店舗」の一例として相模原市南区古淵に第一号店舗を開いた古書店チェーンの「ブックオフ」を紹介している(第五章「軍都から商業集積地へ」国道十六号と相模原)。

国道16号線スタディーズ』によるとブックオフ古淵に第一号店を置いた理由として、1990年代、いわゆる団塊ジュニア世代と呼ばれるファミリー層をターゲットに、家に眠っている古本を目当てに古淵に進出したという。

 

そもそも「ロードサイド店舗」が、日本各地に出現したのはモータリゼーションが急速に進行しつつあった1970年代のことである。ちなみに、「ロードサイド」の名づけ親は1977年に埼玉県入間郡鶴ヶ島町(現鶴ヶ島市)に1号店を開業した東京靴流通センターを経営するチヨダの当時の社長であった舟橋正男と言われている。

「玉川髙島屋ショッピングセンター」は1969年に、東京都世田谷区の二子玉川駅前、国道246号線沿いに完成し、これが日本初の郊外型ショッピングセンターと紹介されることが多い。

1970年代に入ると、1970年にファミリーレストランすかいらーく府中市に1号店を、1974年には青山商事広島県東広島市に日本初のロードサイド店舗と言われる洋服の青山の1号店を開業させるなど、ロードサイド店舗が台頭し始めた。

しかし、当時の日本では中小の小売店舗を保護する名目で「大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律(大規模小売店舗法)」が定められており、この法律では売場面積を500㎡以上の小売店は制限されていたため、ロードサイド店舗でも500㎡未満に抑えて出店するケースが多かった。

しかし、当時深刻な貿易摩擦が問題になっていた米国からの圧力もあり、大規模小売店舗法は廃止され、規制を撤廃した「大規模小売店舗立地法(大店立地法)」が1998年に定められた。

大店立地法の施行により、日本各地の主要道路沿いにロードサイド店舗の出店が加速した。

大店立地法施行以降、1999年に福岡県糟屋郡久山町に1号店を進出させた、米国資本の倉庫型スーパーであるコストコや、2006年に千葉県船橋市に1号店を出店させたスウェーデン発祥で現在はオランダに本社を置く家具販売チェーンのイケア(イケアはこれより以前に2度日本に進出しているがいずれも撤退を余儀なくされている)など、外国資本のロードサイド店舗の進出も目立った。

 

しかしロードサイド店舗だけが国道16号の要素ではない。例えば、国道16号の神奈川県南端部である横須賀市や千葉県南端部の富津市・木更津市袖ケ浦市付近は、ロードサイド店舗が立ち並ぶ風景を「国道16号的な風景」と呼ぶならば、国道16号的ではない風景が広がっていると言えるだろう。

『国道16線スタディーズ』では「第4章『重ね書きされた国道十六号線』 『十六号線的ではない』横浜・横須賀」や「国道十六号線/郊外の『果て』としての木更津 『木更津キャッツアイ』は何を描いたのか」で語られている。

 

私が国道16号に関心を持つきっかけになったのは、自動車で国道16号の相模原界隈を通ったときに、ロードサイド店舗が立ち並んでいる光景に圧倒されたのが始まりだった。

国道16号沿線には「平成の原風景」と言えるべき風景が広がっているのではないか、と私は考える。

例えば「日本 原風景」というキーワードで画像検索サイトで検索してみると、以下のような写真が出てくる。

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まず目につくのが水田(棚田も多い)、そして茅葺屋根の家である。そして、なぜか季節は夏であることが多い。

私はこれらの、いわゆる「日本の原風景」的な風景には心を惹かれない。もちろん、美しい風景だとは感じるが、どうもそうした風景に親近感を抱くことができないのだ。これは私が都会育ちの人間だからだろうか。

一方、国道16号沿いの風景には親しみを感じるのは、自分の住んでいる土地の延長線上にあると認識できるからだろう。

国道16号沿線に「日本の原風景」を重ねて見てしまうのは不自然だろうか。そこには「現代日本の原風景」があると言っていいのではないか。

国道16号には東京郊外の衛星都市を結ぶだけではなく、それ以上に東京郊外の人々のリアルな生活を垣間見ることはできる、私にはそう思えてならないのだ。

国道16号線スタディーズ』には、国道16号線沿いに住む人々のリアルな生活を様々な角度から捉えている点が興味深い。中でも『闇金ウシジマくん』や『木更津キャッツアイ』『ドキュメント72時間』などの漫画やテレビ番組を通じて国道16号との関連性を考察している章もあるのは新鮮な視点である。

 

ときには、都心のオフィスビル群や、百貨店や高級ブランド店の立ち並ぶショッピング街などのきらびやかな都会ではない、「リアルな生活」を映し出す国道16号に触れてみてはいかがだろうか。

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*1:東京都HP、2021年7月1日現在

*2:東京都HP、2021年7月1日現在

*3:首都圏整備法第二条第一項及び同施行令第一条による定義

*4:2020年10月1日現在

*5:1991年に、ワシントン・ポストの記者のジョエル・ガローは大都市の郊外に建設されたオフィスや商業施設など独立した都市機能を有した都市を「エッジシティ(周縁都市)」と命名した。