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疫病が蔓延する中で行われた二つの五輪『1964 東京ブラックホール』

もし一九六四年の東京をめぐる「忘却の海」があれば、そこには膨大な記憶が沈められているだろう。しかし、事実そのものが消え去ったわけではない。過去の出来事は、なんらかのかたちで現在に波紋を及ぼす。

貴志謙介『1964 東京ブラックホール』「プロローグ 漂白された記憶」より

2020東京オリンピックパラリンピック大会が当初東日本大震災からの「復興五輪」を掲げていたのが、2021年に延期になり「『新型コロナウイルスに打ち勝った証』としてのオリンピック」と標榜されるように変わっていったのは記憶に新しい。

 

一方、1964年の東京オリンピックは、一時期の「昭和30年代ブーム」に代表されるように、第二次世界大戦の戦災からの復興の象徴として語られがちであるが、果たしてそれは本当だろうか。

『1964 東京ブラックホール』は、1964年東京オリンピック前夜の東京の闇を暴く一冊である。この本はNHKスペシャルで2019年10月に放送された『東京ブラックホールⅡ 破壊と創造の1964年』というドキュメンタリー・ドラマの映像ディレクターであった筆者が番組制作の際に収集した資料や映像の内容を加えて再構成した内容となっている。

『1964 東京ブラックホール』を読んで分かるのは1964年の東京オリンピックは決して夢や希望に満ち溢れた時代ではないということ、オリンピックという華々しい出来事の裏では多大なる犠牲が払われており、その犠牲は後になってまったく顧みられることがないということである。

 

1964年、膨張を続ける首都・東京

都民1000万の糞尿は東京湾沖合に流される

赤痢チフスコレラが流行する疫病都市だった

生活苦にあえぐ労働者は、みずからの血を売った

五輪マネーをめぐって汚職が激増。都庁は「腐敗の巣窟」だった

ヤクザの襲名披露で、自民党の副総裁は祝辞を述べた

少年犯罪は戦後のピークに。中流家庭の子弟が凶悪事件を起こす

米軍機墜落事故が続発。ベトナム戦争は東京で始まった

六本木・赤坂ではスパイが暗躍し、カネと情報が交換された

五輪閉幕後、戦後最悪の不況が訪れた

貴志謙介『1964 東京ブラックホール』帯より

特にバブル経済崩壊以降「ALWAYS 三丁目の夕日」などの映画に代表されるようにメディアがさかんに昭和(特に昭和30年代)に対するノスタルジーを煽ることが増えた。

しかし、1964年の東京をそのようなノスタルジーだけで語ることはできない。

 

例えば東京のインフラ整備の遅れを指摘している「第一章 東京地獄めぐり 『1 戦慄都市』」によると、1964年当時の東京の水洗トイレの普及率はわずか4%、都心部でも20%という低さだった。これは当時のヨーロッパと比べても圧倒的に低い水準である。

また、1964年時点では赤痢の患者が52,420人、死者は471人にも上り、当時の日本は赤痢大国の汚名を被っていた。オリンピック直前の1964年8月下旬には千葉県でコレラの患者が確認され、オリンピック開催が危ぶまれる事態にまで陥った。

 

「第二章 忘れられた人生『2 吸血銀行』」では、1964年3月24日に駐日本アメリカ大使のエドウィン・O・ライシャワーが襲撃された事件を例に挙げて当時の日本の輸血事情を述べている。ライシャワー大使は襲撃の後、輸血によって一命を取り留めたが、彼が受けた輸血は肝炎に汚染された血液であり、彼は生涯肝炎に苦しむことになったのである。

「厚生白書」(厚生省、一九六四)は戦慄すべき数字を挙げている。

「[昭和]38年においては、同年中に製造された59万リットルの保存血液の約97%が売血者からの供血によるものであった」

日本の医療への不信感が国際的に高まった。厚労省の資料によれば、国際血液学会では、日本における売血への慣行がきわめて非人道的であるとして各国の専門家から轟々たる非難が相次ぎ、一刻も早く改善されるべきとの、強い勧告が採択された。

貴志謙介『1964 東京ブラックホール』「第二章 忘れられた人生『2 吸血銀行』」より

当時貧しい人々はお金に困ると自分の血液を売って生活の足しにしていたのである。

民間の血液銀行である日本ブラッドバンクが設立されたのが1950年で設立には731部隊の元幹部が携わっていた。

731部隊とは正式には「関東軍防疫給水本部」といい、第二次世界大戦中に日本の傀儡国家である満州国で生物化学兵器の開発や人体実験を行っていた機関である。

731部隊は日本の敗戦後解散したが、アメリカ側は731部隊が持っていた膨大なデータと引き換えに731部隊戦争犯罪を免責し、日本を反・共産主義の拠点とするべく利用することとしたのである。

日本ブラッドバンクはそのような経緯で設立されたが、ライシャワー襲撃事件以降、社会からの批判が高まり、1964年8月にはミドリ十字と名前を変えることとなったが、その後も薬害エイズ事件・薬害肝炎事件などの不祥事を引き起こした。

 

これら以外にも、政治腐敗や、少年犯罪、スパイ天国等1964年当時の東京の世情は惨憺たるものであったことが本書からは分かる。

 

新型コロナウイルスパンデミックによって延期された2020東京オリンピックパラリンピックは一応の終幕を迎えることができたが、1964年の東京オリンピックのときのようにやがては「成功神話」によって語られるようになるのだろうか。

本書からは、1964年の東京オリンピックが今日において語られるような「成功神話」とは遠くかけ離れた「犠牲」によって成り立っていたものだということが分かる。また、2021年の現状と比較して同じ問題点を抱えていることもよく分かる。

2021年、東京オリンピックを終えた今、求められるのは1964・2020のオリンピックを「成功神話」という名の思考停止で終わらせるのではなく、そこから脱却して次の世代へ課題を残さぬように議論していくことではないだろうか。

社会の闇を炙り出したのは57年前も現代も同じ。私たちはオリンピックの夢や幻想に酔いしれることはもうできないのである。

 

人口と国富を地方へ分散し、国土の均衡を図るべきだというしごく真っ当な考えがなぜないがしろにされるのか。東京全体が巨大な利権となり、そこに寄生する人々が、東京一極集中というシステムをあたかも特権のようにみなしているからではないか。

それだけではない。対米依存のシステム、企業社会のシステム、そして犠牲のシステム。要するに、冷戦時代に日本を反映に導いたシステムが、いまだにわたしたちを呪縛している。

貴志謙介『1964 東京ブラックホール』「エピローグ 一九六四/二〇二〇」より