SHIINBLOG

富士

小中高と国語の時間に「詩」の時間ってあったと思うけどこれは大概つまらない。

 授業で扱われる詩って明るくて、能天気で、メルヘンチックでわざとらしいものが多いと僕はいつも思っていた。

僕は新しい教科書が手に入ると大体全部読んでしまうタイプで専ら国語の教科書なんかは後ろの方のページから読んでいた。僕の経験から言うと、国語の教科書の後ろの方に書いてある話って授業では扱われないことが多い。後ろの方の話は文章が長いものが多いからなのだろうか。

 

高校の現代文の教科書だったか、高校1年の国語総合の教科書だったか忘れてしまったが、やっぱり後ろの方に一つの詩が載っていてその詩が妙に印象に残った。

    重箱のように
    せまっくるしいこの日本。
 

    すみからすみまで みみっちく
    俺たちは数えあげられているのだ。


    そして、失礼千万にも
    俺たちを召集しやがるんだ。


    戸籍簿よ。早く焼けてしまえ。
    誰も。俺の息子をおぼえてるな。


    息子よ。
    この手のひらにもみこまれていろ。
    帽子のうらへ一時、消えていろ。


    父と母とは、裾野(すその)の宿で
    一晩じゅう、そのことを話した。


    裾野の枯林をぬらして
    小枝をピシピシ折るような音を立てて
    夜どおし、雨がふっていた。


    息子よ。ずぶぬれになったお前が
    重たい銃をひきずりながら、あえぎながら
    自失したようにあるいている。それはどこだ?


    どこだかわからない。が、そのお前を
    父と母とがあてどなくさがしに出る
    そんな夢ばかりのいやな一夜が
    長い、不安な夜がやっと明ける。


    雨はやんでいる。
    息子のいないうつろな空に
    なんだ。くそおもしろくもない
    洗いざらした浴衣(ゆかた)のような
    富士。

 

これは金子光晴の「富士」という詩である。

金子光晴という詩人は青春時代を友人と渡米しようとして連れ戻されたり、房総半島を徒歩で渡り歩いたりと放浪を極めていたが、紆余曲折のうちにやがて詩作に没頭することとなった詩人らしい。

また、光晴は国家権力に屈しようとしない反骨の気質で召集令状が来ても自分の息子をあの手この手を使って病気寸前の状態にしてとうとう徴兵を回避したまま第二次世界大戦の敗戦を迎えたのだという。

 

この詩は読んで分かる通り舞台は第二次世界大戦中に軍に召集されて戦地へと駆り出された息子のことを想う両親の詩だ。先述のように光晴の息子は招集されることはなかったが、当時の若い男性はほとんどが徴兵され戦地へと散っていった。

日本における臨時召集は1937年の日中戦争の勃発をきっかけに大規模化し、翌年には47万人が召集された。

召集者のいる家庭には通称「赤紙」という召集令状が届くことになっていて、役所の配達員が「おめでとうございます。」と言って直接召集者に手渡した。

 

「重箱のようにせまっくるしいこの日本」「すみからすみまでみみっちく数えられているんだ」と厳しく統制された戦時下の社会を憎む姿がよく伝わってくる。

 

僕が最も好きな部分は一番最後の「息子のいないうつろな空に なんだ。くそおもしろくもない 洗いざらした浴衣(ゆかた)のような 富士。」という部分だ。

「うつろな空」と「洗いざらした浴衣のような富士」という対照的な2つの情景描写が、政府によって厳しく抑圧された社会の中でもかわらず威厳と誇りを保っている富士を表現している。また「くそおもしろくもない」というぶっきらぼうな表現からは息子がいないもどかしさや辛さが伝わってくる。

この詩の「父と母」は息子がどこに行くこともなく、ただ静かに穏やかに無事でいるようにという願いを「富士」の姿に投影しているのではないか。

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初めてこの詩を読んだとき僕はこの詩の持つ戦地に行った息子を待つ両親の悔しさと富士の美しさを織り込んだコントラストに心を惹かれた。そして「たまには詩を読んでみるのもいいな」と詩に対するとらえ方が少しだけ変わった。

 

国語の教科書って古典や小説、詩や評論まですべて入っているからたまに読んでみるととても面白いんだけどあいにく僕の持っていた国語の教科書はすべて捨ててしまった。久々に図書館の教科書コーナーの棚を覗いてみようか。