匿名でリクエストを募集できるサイト「お題箱」をTwitter経由で共有したところこのようなブログの「お題」が届いた。
>定期券内で途中下車した駅前を探索 https://t.co/xJS75A9XdA #odaibako_cosmic_surfin
— みねはる (@cosmic_surfin) 2018年7月12日
これ良さそう
なるほど、これはと思い早速第一弾として白羽の矢を立てたのは「長津田」である。
なお選考にあたってはこのようにExcelの乱数発生関数"RANDBETWEEN"でランダムに選んでもらった。
それでは本題に移るとしよう。
これは今回歩いたルートである。「オイオイ、『駅前を探索』っていうリクエストじゃなかったのかよ…」というツッコミは申し訳ないが差し控えていただきたい。時間は相当あったし、遠くまで行ってみようという気を起こしたまでである。
という訳で今回は長津田駅から鶴間駅まで歩いたことになったのである。
スタート地点は長津田駅の南口から。
長津田駅は横浜市緑区に位置しておりJR横浜線、東急田園都市線、横浜高速鉄道こどもの国線の3路線が乗り入れている。北口の方は近年再開発が進み、バスロータリーやタワーマンションが建設されるなどしているが、南口の方は駅前のロータリーも狭く昔からの商店が残っている。
左側に見えるのが田園都市線・こどもの国線のホーム、右奥に見えるのが横浜線のホームである。
駅から西に向かって10分ほど歩くと東急電鉄長津田検車区に辿り着く。
ここには主に田園都市線・大井町線の車両が留置されているほか、田園都市線の直通乗り入れ先である東京メトロ半蔵門線や東武スカイツリーラインの車両が留置されていることもある。
また長津田駅構内には横浜線から田園都市線への渡り線があり、東急線の新車両を入れるときには東海道線・横浜線を経由してこの渡り線から一旦長津田検車区に入れ、各線区に移送するといったことも行う。
長津田検車区の西側には人道橋があり、橋の上から検車区全体を見渡すことができる。
左の写真で見える車両は今年から運行を始めた2020系電車である。
しかしこの炎天下の中歩き続けたのでこの程度の距離でも限りなく汗が噴き出てくる。
駅前の東急ストアでお茶とアイスを補給する。
つくし野駅は1968年4月1日に田園都市線の長津田-つくし野延伸に伴って開業した。
駅の周辺は開業時より東急電鉄が開発した住宅地であり住民協約によって高層マンション建設が制限されているため、低層の住宅地が広がっている。
つくし野駅にはまだ「伝言板」が残っていた。携帯電話が普及していなかった頃はこれが大いに役に立ったのだろうが、現在の役目はほぼ皆無と言ってもいいのではないのだろうか…。私の幼い頃には最寄り駅にもこの伝言板があった記憶があるのだが、いつ頃からか撤去されてしまった。
つくし野駅から更に南に歩く。
国道246号線は東京都千代田区の三宅坂交差点を起点として静岡県沼津市までを結ぶ国道である。国道246号は区間によって呼び名が変わるが(青山通り、玉川通りなど)この区間は大山街道と呼ばれることもある。
大山街道は古くは矢倉沢往還として整備され五街道の一つであった東海道のバイパス的な役割を果たした。これが246号の基礎となるルートを辿っている。また江戸時代には山岳信仰が盛んになり、大山講が盛んになり(講とは山岳信仰者の団体の事である)享保年間になると多くの講でにぎわった。
246号を進むと東京工業大学すずかけ台キャンパスが見えてくる。
この「すずかけ台」という名は田園都市線の駅名にもなっているが、これは東急電鉄側の案ではなく東工大側の提案なのである。
東工大は東京都目黒区の大岡山にキャンパスを持っていたが手狭になっていたことなどを理由にこの地に第二キャンパスを造成することを決定し、東急電鉄から土地を購入した。
その際に同大の当時名誉教授であった谷口修が田園都市線では植物の名の付いた駅名が多いことからキャンパスの最寄り駅にも植物の名を付けることを提案した。谷口は古代ギリシャの哲学者プラトンが開設したアカデメイアに多く植えられていたスズカケノキ(プラタナス)を付けることを大学で提案、了承が得られたので東急側にこれを要望した。これが「すずかけ台」という名が付くまでの経緯である。
東急はすずかけ台駅より前にも駅名の決定に際して沿線の学校からの提案を受け入れることを行っており、東横線の自由が丘駅は自由ヶ丘学園の名がその由来である。(開業当初は九品仏駅だったが、その後自由ヶ丘駅を経て自由が丘駅に改称。)
246号に戻り、南下すると東名入口交差点で国道16号と交差する。
脇道に入り、大和市方面を目指す。東名入口交差点付近は中古車販売ディーラーが多く、大型の店舗が軒を連ねていた。
246号に再び戻る。五貫目町交差点にあった道祖神跡。新道建設に伴って移設されたものだそうだ。
しばらく歩くと神奈川県大和市に入る。この辺りは生コンクリート工場が多い地帯でらしく
、道路にもコンクリートミキサー車が多く行き交っていた。
この辺りに「城山史跡公園」なる公園があるということなので、少し寄ってみようと思い脇道に入る。
しかし、公園に踏み行っても「史跡」と呼べるような築造物や案内板も
見当たらなかったため「本当はただの雑木林なのでは…」などと思ってしまった。そのためGoogle Mapを開くとこの公園のすぐ北側に「深見城跡」なる場所があることを発見。この公園を諦めて行くことにした。
ここにはきちんとした案内板があった。
案内板によるとここは14世紀末~16世紀末頃までに存在した平城であり、構造的には戦国時代のものであると推定されるそうだ。大和市にこんな城が存在していたとは全く知らなかった。
私が今歩いている場所はかつては空堀(からぼり)として使われていた場所らしい。
それにしても、歩いているだけでかつての城の面影を見つけるのはかなり難しいと思われる。案内板を見てここが城だと分かっているのでいいものの、何も言われなければ城の跡だとは気づかないだろう。(むしろ城だと言われていても厳しい)
城跡の裏手に出た。そろそろ鶴間駅を目指そう。
この周辺は厚木基地が近いため、軍用機と思われる航空機が低空で飛んで来るのがよく見える。
16時40分頃に鶴間駅に到着。今回の行程の終着地である。
匿名リクエストからの企画モノ(?)のような感じになってしまったが「途中下車リポート」としてはこんなところである。酷暑の中歩くのはなかなか厳しいものがあったが、もう二度と行かないような場所へ行くことができたのはとても楽しかった。
以前も徒歩旅をした(『【徒歩】霞ヶ関から霞ケ関駅まで』)が、夏のこの時季ではこの程度の距離が限界だろう。
また気が向いたときにでも途中下車の旅はしてみたいものである。