SHIINBLOG

蒲郡の片思い

東京圏では「今川焼き」と呼ばれるお菓子が、東海圏では「大判焼き」と呼ばれ、阪神圏では「御座候」と呼ばれ、日本中で呼び方が異なるらしい、という内容のツイートが私のタイムラインに回ってきた。

どうでもいい話だが、私が大好きな刑事ドラマ「古畑任三郎」で鈴木保奈美がゲストの回に「今川焼き」が事件解決の鍵となる回があるのだが、そこでも「今川焼き」という言っていた。とりあえずテレビのニュースなどでは全国どこでも「今川焼き」と言うのか、そこは分からないが。

長年インターネットの片隅で蠢いている、活字中毒の読者の皆様は勿論御存知だろうが、これはもうインターネットお決まりのネタで、かくいう私もツイッターでこれまでもう何十万回も見ているので今更特に何の感動も覚えなかったのだが、もしかしたらインターネット3年目ぐらいの人には面白く見えるのかもしれない。

 

中国やインドのように、無数の民族が暮らしていて土地によってまったく言語が異なる国とは違って、日本は一応各地方に方言があるものの著しく意思疎通ができないという差のものではなく、どこの地方でもほぼ同じ日本語が通じるということもあるからこそ、地方によってお菓子の呼び方が異なるという点が面白がられるというのもあるのだろう。

 

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私は東急東横線という、世間一般から見ればイケイケでキラキラな路線と見られがちな沿線に住んでいるのだが、よく人に住んでいるところを聞かれて答えると「いいところにお住まいなんですねw」みたいな御世辞混じりの言葉をいただくことがままあって、まぁそれはそれで満更でもない気分になるのだが「全然そんなことないっすよ」みたいに答えることが多い。

実際東横線はそんなにキラキラしている訳ではない。田園調布や祐天寺のような芸能人がウヨウヨ生息している町は知らないが、当然のことながら色々な人間が住んでいるので、東横線が高級住宅街のゴールデン・ベルトのような地域ではないことは確かである。

それでも私の両親はずっと横浜で生まれ育った人間なので、田舎と言って思い浮かぶのは八王子や相模原で、よくて海老名や厚木といったところだろうか。

それ以外の地方ははた言うべきにあらずといった感じだと思う。

私も横浜から出て生活したことがないので田舎に暮らすということのリアリティーがまったく想像できない。まぁ田舎で暮らしてみたいと思わない訳ではないが、そんなことをうっかり言ってしまうと田舎の人からなんか叱られそうなので迂闊なことは言えない。

 

田舎と一口にいっても千差万別で、政令指定都市という枠組みに入っている地方都市もあれば、本当に山間の村だったり漁村だったりということもある。

「札仙広福」という括りは私もインターネットを通して初めて知ったのだが、札幌・仙台・広島・福岡の4都市を指す言葉である。

この4都市はいずれもその地方の経済・行政・文化等において中心的な役割を果たしているという共通点があるということらしい。

確かに東京圏に長年暮らしていると「札仙広福」をはじめとした地方都市のことなど頭にすら入ってこないというのもわかる。

 

普段生活しているとそこまで意識はしないが、世界的に見て決して広いとは言えない国土に1億2,000万余りもの人間が暮らしているということが驚くべきことである。

 

時たま旅行に出かけるなどして見知らぬ土地の列車から車窓をぼんやり眺めることがあるが、車窓に流れてゆく家々を見ていると、ここに住んでいる人間は私にとって一生関わることのない人間なんだなぁという思いが沸き起こってくる。

私の切符に鋏を入れに来る車掌は、向かい側に座っている人は、途中駅から乗ってくる高校生は、駅前のロータリーで迎えを待っている老夫婦は……殆どの人間は一生自分と関わることがないのだ。1億2,000万余りの日本人の大半は、私のことなんか見向きもしない。私もまた、1億2,000万人余りを知らずに死んでいく。

 

そうやって考えると都会も田舎も大して差はないように思える。

本当に関心を持つべきなのは人口や産業など地図やデータから分かることではなく、そこに住んでいる人間が何を考え、何を理想として暮らしていくのかだろう。

ネットでは「どこどこの町が住みやすい・住みにくい」とか「どこまでが都会か田舎か」というような話題がよく熱く語られ、時には誹謗中傷ともとれるまでに荒れることもあるが、理由は簡単で、そういった安易な二元論は面白くて叩きがいがあるからである。

 

「狭い日本そんなに急いでどこへ行く」というのはあくまで交通事故防止のスローガンであって、1億2,000万余りが住むこの島々は果てしなく感じられるほど広く、探求心をそそられる島である。