さて、この真冬に青森県を訪れたのでちょっと書いておこうと思う。
話としては前回の記事の続きである。
2月5日
奥羽本線 青森 9:52発→川部 10:31着
なお今回2日間使用したのは「津軽フリーパス」である。
このフリーパスでは奥羽本線の青森-碇ヶ関間、五能線の川部-五所川原間、津軽鉄道線の津軽五所川原-金木間、弘南鉄道線の全線、弘南バスの路線が2日間乗り降り自由である。
青森駅を出た電車は一面の雪景色の中を走る。これほどの降雪地を電車で移動するのは私にとっては初めてのことであったので、車窓からの景色にはただ圧倒される。
川部 10:39発→五所川原 11:08着
津軽鉄道は津軽五所川原から津軽中里までの20.7kmを結ぶ路線である。1930年7月に最初の五所川原(現津軽五所川原)から金木までが開業、同年11月に中里(現津軽中里)までが開通した。
「津軽フリーパス」で乗車できる区間は津軽五所川原-金木間である。また、冬季に運行されている「ストーブ列車(後述)」には乗車できない。
私はストーブ列車に乗ろうと思っていたのだが、津軽フリーパスを買って券面を見るまでこの切符ではストーブ列車に乗ることができないことに気が付かなかった。そういう訳で最後部の一般車両に乗車することにした。
列車はゆっくりとした速度で一面の雪の中を走る。
ストーブ列車は観光客で溢れていたが一般車両の乗客はごくまばらであった。
フリーパスの使える境界駅である金木駅で下車する。
金木駅から歩いて10分程の場所にある太宰治記念館「斜陽館」に向かう。
作家の太宰治(本名:津島修治)は1909年6月19日にこの金木で大地主であった津島家の六男として生まれた。父は貴族院議員を務めた程の地元の名士であった。太宰の小説の名前から取られたこの「斜陽館」は太宰が中学進学で青森に移り住むまで生まれ育った家を改修して記念館として開いたものである。
津島家は銀行業を営んでいたので、そのときの執務室があったり応接室があったりする。ちなみに斜陽館の向かいには青森銀行の支店があるが、これは津島家の銀行業が青森銀行に引継がれたためである。
この建物の面白い点は1階が和風の造りになっているが、2階は洋室があるという和洋折衷の造りになっているところである。
とても広い建物で、蔵の中には展示室があるなどするので見応えがある施設であった。
来たルートを戻って弘前駅に向かい、弘南鉄道弘南線に乗り換える。
弘南鉄道は弘南線と大鰐線の2路線を持つ私鉄である。また、弘南鉄道は日本の普通鉄道で唯一冷房車を配置しない鉄道会社である。
1927年に弘南弘前(現:弘前)から津軽尾上間が開業、1950年に黒石までの全線で開業した。
使用されている車両はかつての東急電鉄で走っていた7000系電車である。
終着の黒石駅までは30分弱の短い旅である。
黒石市は人口は33,470人(2019年1月末日現在)、十和田八幡平国立公園の北西の玄関口に位置する市である。江戸時代末期には黒石藩が置かれ、1871年(明治4年)7月の廃藩置県では黒石県になり、同年9月には他県とともに弘前県に合併され現在の青森県の一部になった。
黒石駅前は弘南バスのターミナルがある以外は閑散としているイメージであった。
駅前にある食堂に入り、兼ねてから耳にしていた「つゆ焼きそば」を食べることにする。
すごう食堂 つゆ焼きそば(700円)
「つゆ焼きそば」は濃いめの醤油ベースのつゆに焼きそばの麺と天かす、ネギなどが入った黒石市のB級グルメである。
うどんのようでもあり、焼きそばのようでもある不思議な味でとても美味しかった。
夕食は青森駅前の「食事処 おさない」でほたて丼(830円)をいただいた。
2月6日
JRバス東北 みずうみ号 青森駅前 8:00発→酸ヶ湯温泉 9:14着
この日は朝一番のバスで酸ヶ湯温泉に向かう。
バスの乗車率は8割程度といったところだが、その大半は中国人・韓国人のスキー客とみられる乗客であった。というのもこのバスは途中スキー場のある八甲田ロープウェイ駅前を経由して終着の酸ヶ湯温泉に向かうからである。
青森市街を抜け国道103号の山道を登っていくと今まで私が経験したことのない雪の世界が外に広がっていて圧倒された。流石は日本一の豪雪地帯である。
酸ヶ湯温泉は八甲田山中にある火山系の温泉である。泉質は酸性硫黄泉で源泉温度は48-64℃である。
開湯は江戸時代前期の1684年と言われており、山奥の僻地にあるのにも関わらず古くから多くの湯治客で賑わった。また1954年には群馬県の四万温泉、栃木県の日光湯元温泉と共に国民保養温泉地第1号に指定されている。
「酸ヶ湯」の名前の由来は鹿を追って山に入った狩人が鹿を仕留め損なって見失ったが、その後に傷を負ったはずの鹿が見違えるように回復してあっという間に山に消えてしまったのを不思議に思い、狩人が近くを探すと温泉が湧いているのを見つけた。そのときからそこを「鹿の湯」と名付けて使ったということに由来しているちといわれている。
酸ヶ湯温泉は世界屈指の豪雪地帯であることでも知られていて、標高890mの高さにも関わらずアメダス(自動気象データ収集システム)が設置されている。
2013年2月26日午前4時には現在も観測が行われているアメダスの中で積雪深が史上最高値である566cmを記録した。
バスを降りた途端に硫黄の鼻を突くような臭いがして温泉地だということを実感した。交通の不便な時代にこんな山の中の一軒宿に辿り着くのは特に冬は相当命懸けだったのだろうと想像を巡らせるほかはない。
館内の温泉は「千人風呂」と「玉の湯」に分かれている。
千人風呂だけの入浴は大人600円、両方の湯の入浴は1000円という料金になっていて、私は両方の入浴券を購入した。
千人風呂は男女混浴で、熱の湯と四分六分の湯という2つの大きな浴槽がある。
千人風呂とは言うもののもちろん本当に千人入る訳ではない。(それでも相当な大きさのある浴槽である。)酸ヶ湯はもっと熱い湯なのかと思っていたのだが、少しぬるめぐらいに感じる湯温だったので意外であった。
玉の湯は男女分かれていて千人風呂とは違い洗い場のある一般的な温泉の浴場であった。落ち着いて温泉に入りたいならこちらの方が良さそうだ。
酸ヶ湯温泉を11:30に出発するバスで青森駅に戻り、また弘前駅に向かい今度は中央弘前駅から弘南鉄道大鰐線に乗る。
弘前駅からバスで10分程のところに位置する中央弘前駅はまるで時間が止まっているかのようなレトロな駅舎である。
弘南鉄道 大鰐線 中央弘前 15:30発→大鰐 15:58着
弘南線と同じ車両型式であるが、この東急7000系電車は大阪府の水間鉄道からの譲渡車であるらしい。ということは「お下がりのお下がり」だということになる。東京や神奈川で走り、その次に大阪で走り、そしてこの青森の地にやってきたのはなんだか感慨深い。
日頃から東急電鉄を使っている私からすると、この注意表示を見ると懐かしさを感じてしまうのである。この表示は東急東横線・田園都市線・目黒線で主流の5000系電車にもあるため東急電鉄の一種の「こだわり」なのかも知れない。遠くの地方でもこのように地元で走っていた電車に乗れるのは不思議な世界に迷い込んだような気分になって楽しい。
大鰐温泉は南津軽郡大鰐町にある温泉である。駅前には温泉街が広がっているが、閑散としていて衰退してしまったているという印象を歩いていて強く受けた。
徒歩で10分弱のところに公衆浴場があるので入ってみることにする。
大鰐温泉には共同浴場が9つありその一つの「若松会館」に入る。
入湯料は大人200円である。
浴槽の大きさは大人7~8名入れる大きさのものが一つだけである。湯温は酸ヶ湯のお湯よりも熱く43℃~44℃ぐらいに感じた。熱めのお湯である。熱めの風呂が好きな私にとっては心地良く感じた。次の電車まで時間があるので番台の前のスペースで休憩した後、奥羽本線を青森方面に向かって戻り、家路につくことにする。
東北新幹線 はやぶさ40号 新青森 18:38発→東京 22:04着
帰りは新幹線で一気に東京へと戻ることにする。
行きは東京青森間を高速バスで10時間半近くの時間をかけたが、帰りは東北新幹線で3時間半弱なのであっという間である。
無事に東京に到着。北国から帰って来るとなんだか暖かく感じてしまう。
雪の降りしきる冬の北東北は旅情を誘われるような気分になってとてもよかった。今年のようにきちちんと防寒装備を整えて、また来年も行きたい。できれば次は往復新幹線がいいですね、時速320kmで走る文明は如何せん快適なので。