SHIINBLOG

太田藪塚石切場跡


都道府県境を跨ぐ移動の自粛を解禁」という奇妙な日本語のニュースが流れる今日この頃ですが多動のお宅の皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

この度、東武鉄道全線が乗車できる株主優待乗車券がチケットショップで投げ売りされていたので数枚入手し、北関東に向かった。

今回はその一つの「太田藪塚石切場」を紹介する。

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浅草駅

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特急りょうもう3号赤城行

浅草駅は東武線の始発ターミナルである。

7:40発の赤城行の特急りょうもうに乗り込む。自宅からだと北千住駅で乗り換える方が便利なのだが、特急に乗る前に浅草近辺を歩きたかったためにここから乗ることを選んだ。

朝早かったのでホームの売店で駅弁を買うことができなかったのが残念だった。

 

この特急に乗ったのは館林駅までで、館林駅で途中未乗である小泉線に乗り換えここを乗り潰しつつ、桐生線藪塚駅で下車した。

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藪塚駅

 藪塚は赤城方面の特急りょうもうの停車駅で言うと太田の次である。上の写真の左の看板に書いてある「やぶ塚温泉郷」に向かって歩く。

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無料バスの時刻表

駅前からは太田市営の無料バスも運行されているが、地元の人向けらしく土休日は運休しているらしい。ここは素直に歩くことにした。

石切場までは1.5km、徒歩でおよそ20分の道のりである。

途中には「藪塚温泉」がある。

藪塚温泉天智天皇の時代に奈良の大仏の建立を指揮したことで有名な行基が開湯したと伝えられ、鎌倉幕府を打倒する際に太田の武将新田義貞が兵士を湯治させたとも言われる古い温泉である。

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藪塚温泉

折角なのでひとっ風呂浴びようかとも思ったが、コロナウイルスによる休業状態なのか開いている様子の宿泊施設が見当たらず、人ひとりおらず水を打ったように静まり返っていたので今回はやめることになった。

温泉街を抜けると舗装されていない道を抜け、石切場跡の入口に着いた。

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石切場への入口

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石切場跡への道

ハイキングコースのような山道をしばらく進む。雨が降ったあとでかなり足元が悪く、木道もぐらぐらしていて整備状態がいいとは言えないので注意が必要である。

 

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石切場

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石切場

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石切場

木道を歩いた先に石切場跡に着く。

石切場の周囲はおよそ2,000万年前の火山活動によって軽石凝灰岩が形成された。それが隆起して露出し「藪塚石」となった。

明治初めになるとこの藪塚石の採掘がはじまり、1911年に藪塚石材軌道(後に太田軽便鉄道)が開通、また1913年に太田軽便鉄道の鉄道部門を東武鉄道が買収し桐生線を開業させると藪塚石は関東一円のみならず長野に至るまで広まることになった。

しかし、藪塚石は水に弱く割れ目が多くまた人件費も嵩むということで徐々に忌避されるようになり1955年頃には閉山することになり、この石切場だけが残されたという歴史になっている。

 

山の中にあり最早廃墟と化しているが、空気が冷たくて気持ちよく感じられた。

東京から特急電車で1本で着くので時間のある物好きな方は行かれてみてはいかがだろうか。

 

それでは今回はこの辺で。