SHIINBLOG

Y150

さて、2009年に横浜市で開催された開国博Y150をご記憶であろうか。

日本ではたびたび各地で「博覧会」が開催されてきた。その嚆矢となったのは言うまでもなく1970年に開催された日本万国博覧会(大阪万博)である。

1983年に神戸で開催された神戸ポートアイランド博覧会(ポートピア'81)の成功をきっかけに日本では各地で「地方博ブーム」が巻き起こった。

 また80年代後半から始まったバブル経済も地方博ブームを後押しして大都市を中心に89年の横浜博覧会など各地で開催されたが、90年代初めにバブル経済が崩壊すると96年に開催予定だった東京都の世界都市博覧会が中止されるなどブームは沈静化した。

 

話を戻そう。

横浜市では2003年に横浜の活性化を目的として「近代日本開国・横浜開港150周年記念事業推進協議会」が設立され、その一環としてこの博覧会が企画された。

正式名称を開国・開港Y150というこの博覧会は日米修好通商条約の締結(1859年)によって横浜港が開港して150年目の節目として開催されたものである。

会場はみなとみらいを中心とする横浜港周辺の会場(ベイサイドエリア)と横浜市西部の旭区にあるよこはま動物園ズーラシアに隣接する会場(ヒルサイドエリア)の2箇所に分かれて2009年4月28日から9月27日間の153日間の日程で開催された。

 

結論から言ってしまうと、最終的にY150は大赤字を出して失敗することとなる。

来場者数は716万6300人を記録したが、このうち有料の入場者数は約123万人であり、目標の500万人には遠く及ばず最終的な赤字額は28億円にまで膨れ上がった。

 

私は丁度その当時は小学校5年生で、学年毎にY150に見学に行った覚えがある。また、全期間入場券と言って期間内に自由に入場できる券(大人は1万円、小中学生は3300円)を持っていた。

 

失敗の原因は単純に展示が面白くなかったということもあると思う。

当時目玉となっていたイベントの一つが、フランスの芸術団の所有するでっかいクモのパフォーマンスだったのだが、会場内決まった場所で一日に数回、20~30分間霧を吹いたりちょこっと脚を動かしたりするだけで終わりだったのでお世辞にも面白いとは言えないものであった。

確か、会期の前にみなとみらい近辺の公道でデモンストレーションのような形で披露していた気がするのだが、それを会期中の何回かに分けて開催した方が面白かったように思える。(もちろん手続上でかなり厄介なことになりそうではあるが)

f:id:mineharu:20191220001718j:plain

ラ・マシン」というフランスのグループの巨大クモ

今考えてみれば、そもそも何故横浜港開港を記念するこの横浜開国博でこのクモを展示したのかという純粋な疑問が出てくる。ちなみに横浜市はフランスのリヨン市と姉妹都市提携をしているので全く繋がりがないという訳ではないが…うーん……

 

先程「有料の入場者数」と言ったが、これは無料の入場者がいたということになる。事実、旅行会社の無償配布分や入場無料の会場もあった。

入場料が2400円(前売2200円)と割高だったのも不振の要因だと考える。同じ金額を払って八景島シーパラダイスや鎌倉に行く方が内容で比較すれば余程楽しかっただろうと思う。

 

こうして不名誉なことにY150は失敗に終わり、当時の中田宏横浜市長は市会の開会直前に辞任するという散々な結果に終わった。

 

つい先日、2025年に大阪・関西万博が開催されることが正式に決定した。

しかし私は最早「博覧会」という場で夢や理想を語る時代ではなくなっていると思っている。これから先の社会に残していくものを提示し、博覧会の会期が終わっても街づくりや産業面で持続的に発展するきっかけづくりができるかどうかに成功がかかっているとY150の失敗を振り返りながら思う。Y150には全くそれがなかった。

博覧会を開催する行政だけでなく、企業や市民が一体となって関心を持つことが博覧会だけでなくひいては街づくりや政策に必要だろうと考えている。

f:id:mineharu:20191220004048j:plain

Y150のマスコットキャラクター「たねまる