SHIINBLOG

ケータリングの牛タンとオリンピック

東京2020、オリンピック・パラリンピック、叩けど叩けど出るわ出るわ、埃のように問題が次から次へと露見しており本当に凄い。不祥事の総合百貨店といった様相である。

 ここに来て発表されたオリンピック・パラリンピック開閉会式の音楽担当のアーティスト、この期に及んでわざわざ彼の名を出すことすら忌々しいのであえて出すことはしないが、彼の過去の醜聞、それに伴うインターネットを巻き込んだ大炎上と、よくもここまで特大の地雷を踏んづけたなといった感じは否めない。一部のファンやインターネットの好事家の間では有名な、というより過去にも度々炎上していた話ではあるようだが、今回の一件で初めて知ったというのが(私も含めて)国民の大多数であろう。

彼に関しては諸方で批判されているので、私からこの場で彼の醜聞について糾弾するつもりはない。しかし彼の所業について書かれた記述を読んでいただければ分かるが、言語に絶するような話である。批判されて然るべきであろう。

 

ワクチン接種が進んでいるとはいえ、第5波ともいえるコロナウイルス拡大下において今尚東京オリンピックパラリンピック大会を断行せんとする本邦の政府をはじめとする首脳には怒りや呆れという感情よりも「恐怖」を覚えてしまう。本当にビビる。ここまで国民感情を完全に""無視""して行われるオリンピックが果たしてどのような結果に転ぶのか今から本当に恐ろしい。

 

誰に責任があるのかとかそういうのは最早重要ではなくて、個人的な感情としてはあれに関わった政治家や広告代理店の人間は、皆雁首揃えて皇居を拝みつつ腹を割るぐらいのことはやってほしいが、流石にそれは叶わない望みなのでせいぜい一生表には出てこないでほしい。あいつが悪いとかどうとか関係なく皆等しく落とし前を付けてほしい。

 

以前のエントリで「渡辺直美をブタに」という案を出した開会式責任者を告白した週刊文春の記事について言及したが、有り得ないことだが、まかり間違ってオリンピック・パラリンピックが開催されるとして、この期に及んで開会式など何も着飾ったものでなくてもいいだろう。開閉会式も含めて無観客で行われるんだし、ギリシャから始まって50音順で出場国が入場し、義偉がアベベだのヘーシンクだの東洋の魔女だのの思い出話をして天皇陛下が開会宣言を行い、君が代を流し聖火を灯して花火を上げる、ぐらいの構成にすれば1時間ちょっとで済むはずである。国民の声をガン無視しておめでたいことにオリンピック・パラリンピックを行うんだからまぁせめて申し訳なさげに粛々とやってほしい、お祭り騒ぎは不謹慎だ。これから燃えるのは聖火台の火だけでいい。

 

丁度今、とあるアイドルグループが全国ツアーと称して日本中を行脚している最中である。そこで、そのグループのメンバーのブログやインスタグラムを御覧になっていただければ分かるが、あろうことか楽屋で牛タンだのケーキだのケータリングの差し入れをドシドシとお召し上がりになり、ノーマスクでパシャパシャとメンバー同士で写真を御撮りになっていらっしゃるのだ。

私はそれらを見るたびに転げ落ちそうになるのだが、そういった感情を抱くのも元はと言えば2020年頭から始まった新型コロナウイルスパンデミックにより劇的に社会が変容した結果である。2020年より前は何の咎められることのない、当たり前の光景だったのだ。

こんなことを言うと「お前は不謹慎厨じゃないか」とか「それもアイドルの仕事の一つじゃないか」とか言われそうな気もするが、そういった御指摘は正しいと思う。全くその通りである。

ただ私が憎んでいるのは自分の好きなアイドルに対してそのような若干の嫉妬と羨望に近い眼差しを向けねばならなくなってしまった社会、やるせなさでありやり場のない怒りである。

 

オリンピック・パラリンピックにも同じようなことが言えるのだろう。コロナウイルスが存在するのは、ライブ会場のステージの向こうでマスク姿で、真っ赤な顔をしながらペンライトを振っている観客たちの方であり、また選手村や競技会場の外側の市井の人々が生活している土地なのであると。

小学校低学年の子が「バリア!」なんて言って遊んでいるようではまだ可愛げがあるがそれを国家単位でやっているのだから本当に凄い、感動する。日本には四季があるし、電車は時間通りに来るし、水と安全はタダで降ってくる。日本万歳。オリンピック万歳。

 

それでも私が日本を良い国だと思えるのは、いくらブログでオリンピックを馬鹿にしても、ツイッターで政治家をけなしても、次の日の朝早くに警察官が家にやってきて令状を突き出し、豚箱に押し込まれる恐れがないところである。

要するに、思想・言論の自由である。これは日本国憲法に定められているので、これだけは国は最低限守らねばならないということである。憲法はいいね。憲法は最高。

また、日本国憲法第12条にはこのように書いてある。

第十二条

この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

そしてまた、日本国憲法は103条まで存在するのだが、終盤の「十章 最高法規」の中にある第97条にはこのように書いてある。

第九十七条

この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

私は法学部出身ではないし、一般教養の憲法学の講義の単位も落としたので法学に関してはド素人だが、この2つの条文はかなり重要な意味を持っていると考えている。

「国民の不断の努力」とは、「侵すことのできない永久の権利」とは、今般のオリンピック・パラリンピックの開催を考えたときに日本国憲法の2つの条文に通底している「基本的人権」が全く以て無視されているとしか考えられない。馬鹿げている、信じられぬ話である。

「オリンピック休戦」という概念がある。これは「オリンピックの開催期間中は戦争状態にある国も一旦休戦しましょう。オリンピックは平和の祭典です。」という話で勿論東京2020オリンピック・パラリンピック大会でも提唱されている。

olympics.com

国民の権利も十分に守れぬ政府が開催するオリンピック・パラリンピック大会でオリンピック休戦なんて随分片腹痛い話ではないか。そうは思いませんか。実に空虚な響きに聞こえてしまうのは私だけだろうか。

 

まぁオリンピック・パラリンピックはせいぜい盛大にやると良いんじゃないですか。

今回のオリンピックの招致から開催まで、数多の炎上や醜聞やめちゃくちゃな出来事のおかげで政治家や、広告代理店やその他の大企業のごく一部だけが利権を貪りそのしわ寄せは一般大衆に来るというシステムが露見しただけそれだけでも利点だったという観点もなくはないが、それはあまりにも大きな代償だと言えるだろう。

 

2013年9月8日、IOC総会で2020年オリンピック・パラリンピックの開催地が東京に決定したとき多くの本邦に住む人々が狂喜したことだろう。私だってそうだった。

今回のオリンピック・パラリンピックが成功しようとも失敗しようとも、この国の一般市民がオリンピック・パラリンピックに抱く印象がそれまでと比べて著しく悪化していることは確かであり、これはもう取り返しのつかないことだ。これが一番の損失ではないかと私は思う。

オリンピックボランティアの方がボランティアの制服を着て電車に乗っていたところ、他の乗客に「コロリンピック」と罵声を浴びせられたという記事を先日読んだ。これが事実かどうか判断する術はないが、この出来事がすべてを物語っているではないか。これは未来のアスリートにとっても深刻な問題となり得るだろう。

 

コロナの世になってから、散々国民をコケにして、国民の声を無視してオリンピック・パラリンピックを断行する政府に対して、まぁ日本人はお行儀が良いから今は派手に暴れ回ったりはしないだろう。本来であれば義偉のツラに小便でも引掛けてやるぐらいのことはやった方がいいのかも知れないが私を含めてそんな甲斐性のある人間はそうそういないし、何しろ犯罪なので。

 

でも、今後10年、20年、もしかするとそれ以上かも知れないが必ず、政治家やこの国の中枢にいる人間はコロナの世によって生み出された憎しみ・苦しみ・差別・偏見・格差等数多の罪に対する責任を負う羽目になるだろう。年貢の納め時は必ずやってくる。それはこの一億日本国民が、必ず払わせねばならない。それが今日明日ではなくても。

そのときは、せいぜい首を洗って、神妙に待っておくことだな。まぁそのときには今の政府の人間はあらかたこの世にはいないだろうが。

 

私はこのオリンピック・パラリンピックを、開催されようとされまいと、忘れることはないだろう。開閉会式を含めて一切競技をテレビで視聴することがなくとも忘れることはしないだろう。

 

2013年9月8日に戻れるとして、そのときの、テレビを見ている自分に何と耳打ちすればいいだろう。そうだな、「今からバッハの曲は聴いておくな」とでも言っておこうかしら。まぁ何の話か分からないだろうが。

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