SHIINBLOG

「推しは推せるうちに推せ」という言葉の欺瞞

「推しは推せるうちに推せ」というのが最近よく聞かれるが個人的には好きではない御託宣である。

なぜ好きではないかと言うと、ここで言われる「推し(推す)」という言葉が、経済的な行動を前提とするものだという認識が透けて見えるからである。

推しのライブに行く、推しのイベントに行く、推しのグッズを買う……など金銭が絡む行為ばかりが強調されているように思えてならない。「推す」という行為はもっと精神的な面で語られてもいいのではないか。「推しは推せるうちに推せ」という言説には「金をより多くつぎ込むのが正しい」という価値観が強調されている。

私は天邪鬼なので、テレビ番組やネットメディアが「推し」「沼」「尊い」というスラングを多用するのを見ると積極的に使いたくなくなってしまうのだが、最近は特に「推し活」なる単語をよく目に(耳に)するが、それはもはや「趣味」という単語に置き換えても同じではないのかと思ってしまうが、とにかく鬱陶しい。

なぜ突然こういう話をしているかと言うと、私の推しメンが卒業することになったからで、この話はまた次にでもします。それでは、今回はこの辺で。